Club jannmu 2006

.................イザリ

.................イザリ

 

 

   イザリくーん

 

  「はーい!」

 

   イザリ君はさー、そう呼ばれて嫌じゃないの?

 

  「ぼくは見てそのまんま、イザリだからべつにいいけど」。

 

   でも、そう呼ばれるのが嫌な人もいるじゃない。

 

  「そういう人は、あるがままを受け入れられなくて自信がないんだよ。ぼくは呼ばれたら、はーいぼくがイザリでーす、って胸張って答えるのになぁ」。

 

   ふーん・・・

 

 

 

投稿日 2007/05/23 Feel something | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)

 

 

 

 

 

これを書いてから10年経った。

 

イザリな子を親が隠そうとしたりする深層心理というのはどういうことか。そういう親を見てそのイザリな子が自分の存在をどうとらえるのか。

 

イザリな親を子が恥ずかしいと思うとしたら、その深層心理というのはどういうことか。イザリな親はどうして胸を張ることができないのか。

 

それらの価値観はどこから植えつけられるのか。

 

差別用語とされる名詞などは、差別用語指定することで逆に差別意識を高めることになっていないだろうか。

差別用語指定するのは主に役所や学校ほか、忖度が好きな機関だ。(いったい誰を何を忖度しているのだろうか)

 

ここでいう「イザリ」とは、びっこ、つんぼ、おし、めくら、びっこ、かたわなど先天性後天性の関係なく、そういった人々の総称としての意味として書いた。

ちなみに私は背が低いことに加え更に手足が短いし、公的機関から精神障害(昔でいうと気違い)の認定を受けている。

 

「凸と凹」という記事にも書いているがまたの機会に。

 

 

姿かたちなど基本的に変えられないことに劣等感を持つことよりも、身の回りの変えられることに関心を持ち変えていくことが必要なのではと思います。

逆にイザリ以外の健常者の範疇にいる人々が敢えて容姿を変えようとするのは、実は同様の深層心理だということも付け加えておきたい。

 

整形手術や豊胸手術や入れ墨、性転換手術などですが、髪形や髭をはやしたりすることとはまったく別の次元なのだということも考える時代でしょう。

社会福祉もこういった議論から始めなくては意味が無いように思います。

いかがでしょうか。

 

*これは自由を制限しようとするものではなく、精神的作用とか深層心理面での考察です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2007/05/23   jannmu
タグ:自然

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