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幸せの段取り

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自宅でひとり酒を飲みながら飲んだ後の〆を何にするか考えていた。

 

学生時代のアルバイトのほとんどは接客仕事募集で入ったが、どこでもいつの間にか調理場に回っていた。

 

従業員に食べさせる賄いという食事は、ここ数年の日本人精神の堕落によって金をとるので、メニューから従業員に選ばせるという変な方式に変わってしまった。

 

 

冷蔵庫や野菜保存するための籠に残っている食材で、早いもの(職人のあいだでは”アニキ”という)から片付けていかなくてはならない。経理でいうと”先入れ先出し法”という、食材調理人にとっては最も理にかなった手法だ。

 

世の主婦やお母さん方が無意識にしていることだが、それを学者にも理解できる正式名称に変換すると、そういう味気ない言葉になってしまうが、私にはそのことを理解しつつ敢えて境目を設けないというのが天地人に明確な境目がないという科学者的味気無さなのかもしれない。

 

 

 

 

 

そして今夜私が取り出した”アニキ”は長ネギである。

 

そしてこれも含めて〆というか寝る前の主食的な料理に仕立てなければならないという命題を、大げさに言えば背負っているのだ。

 

寝る前の食事を夕食とかその後の夜食というが、夢を見るには栄養が必要だ。死ぬことにすらある意味相当なエネルギーを必要とするように。

 

そういえばラーメンが冷蔵庫にある。

 

アルコールを飲んだ後のラーメンというのは振り返れば今を去ること30年前に、鶴見駅前にあったストリップ劇場に友人数人と行って、劇場ホール脇の自動販売機で買った缶ビールを数本飲みながら心も体も盛り上がった。

 

そのあとに寒風吹きすさぶ駅前で屋台のラーメンを食した時のその味が、脳裏に強く残存していることが主たる原因であり、あのときの女性の裸体の強さと美しさがそのもう一つの要因であることが、こうして白髪ねぎを刻んでいることの、つまり欲求の平和的消火作業とでもいえばいいのだろうか、そういう蓄積した記憶を”大人”ともしもいうならば、それはそれで逆らっても無駄な行為というものだということすら感ずる年齢に早くもなってしまったというべきか、ようやくなったというべきことか。

 

 

 

 

 

2019/03/31   jannmu

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