流行とかトレンドってなんだろうか。
そういうものが大体20年周期でぐるぐる回ると言われていたけど
いまは10年、下手すりゃ3年くらいでまたやってくる感がある。
還暦も近くなる歳だと、20年周期だとしてもそれを数回経験して
いて、それが次々に出現する現象を目撃してきたわけだ。
トラッドとかトラディショナルというのも流行した。矛盾している
もののようだが。
近代化して都市化して人が大勢集まったり、TVやネットで価値観
同一化がなされる世界では、それい以前までは自然に発生していた
流行というのが意図的に仕掛けられることになる。
今年流行した靴や鞄は、昨年(前シーズン)にもうすでに用意され
ている。
それを継続させると、段々安かろう悪かろうの世界になってくる。
大量生産大量消費は安かろう悪かろうに段々なってくる。
しかし残るものもある。
残るということは数年であれ、その時間の洗礼を受け、淘汰され
消えるものがあり忘れ去り、極少数が残るのだ。
それを洗練されるとか、垢ぬけるというんだと思う。
今年これこれこういった材料が余ったし残ってるから、この材料で
作ったものを内緒で来年流行させようという考え方を、株や穀物
相場などの「先物買い」という。
未だ種も植えていない、その農地がそのときどうなっているかも
わからない。そういう中で、先物という相場が動くのだ。
デザインやアートでもそういった含みがある。
音楽でも演劇でもファッションでも娯楽でも何でもそうである。
しかしそれでも残るものは残るのだ。
ただし、そういったものは必ず権威性を帯びる。そういう帯びて
しまった権威性を作家自ら蹴とばして歩かなければならない。
普遍(性)というのはそういう状態だと思う。
それをJAZZ的に文章でやるのは兆戦のし甲斐があるというものだ。
蝉は毎年のようで実は7年