帰りは会社員下校の時間になるので、電車で行くのをやめて自転車で小杉まで行ってきた。
この冬はそういえばどこへも自転車では遠出していないので、ももや脛の筋肉が随分と鈍っていることもそれこそ体感できた。
途中腹が減って元住吉商店街に入った。人はまばらだった。
あれこれ迷う間、匂っていた。
「この匂いはいったいだんだろう・・・」しばらく考えていた。
小中学生だったころよく遊んだ宮内の交差点の角にあったラーメン屋は、開店前の時間に辺り一帯にこれと同じ匂いを漂わせていたのを思い出した。
ラーメン屋は多いけれど、豚骨スープを自前で煮出すラーメン屋はそれほど多くないようだ。
工場で大量に作るスープをラーメン屋が使っているとすると、味自慢なんてことにはならないだろうしそのことはラーメンチェーン店へ僕が入らない大きな理由のひとつでもある。
ラーメンの麺を茹でたりスープを煮出したりするのは大概ガスコンロなのも忘れてはいけない。あれをHIでやられたひにゃ旨いものでも不味くなる。料理というのはそういうものだと思うのだ。
バレなければいいと法律を守らずにいて、バレたら開き直る昨今の日本人には、マナーを向上させるなどできるわけがなく、しかし情報はいまや一瞬にして世界を回りマナーすらエゲツナイ人は相手にされなくなる時代だ。
しかし自家製手作りと謳いながら工場で大量に作るスープを使うラーメン屋があるとすれば、上記の法律とマナーの関係性のようになるだろう。もちろん受け手の無知の問題も大いにあるのだが。
そんなわけで、今日は起き抜けからラーメンを食った。
スーパーで売っている大量生産3食入りスープ付きのラーメンだけど、野菜とダシ程度に少しの肉を炒めて醤油あんかけにして麺に乗せた。
これが旨い。
大きな鍋でたっぷり湯を沸かして麺を茹でるのが美味しいのだが、独り者はそうはいかない。小さな鍋で麺を茹でると、吹きこぼれることがある。そこで目を離さずに火力の調整をする。ガスに限る。
ラーメン屋のガスコンロは大概着火専用のライターを使っているようだ。
着火専用のガスライターでガスコンロに着火するという、うっかりするとちゃっかり損するような矛盾をここに発見し、それならば電子が飛ぶ部分だけを着火ノズルの先に取り付けるというような基本的発想が実は新たな何かの始まりになるような予感がするのだった。
綱島街道に出ると、新聞の折り込みチラシだろうかレジ袋であろうか、ひっきりなしの自動車に舞い上げられ空高く浮遊していて地面には降りてこない。目には見えないが他にもこのように浮遊している物質は多いのだろう。
生きる基本である食を支えるのが農業だが、農業と畜業は一対だったはずだしそうあるべきだ。
この生命の営みの基本を分断してしまった結果、固く黒い地面と空に浮遊するレジ袋という奇怪な風景を生みそれに人々が慣れきってしまっているというのが悲劇なのだと思う。
片道2時間、少しの合間の往復約4時間。
ずっと。
自転車のサドルとおちんちんの付け根の辺りが擦れ過ぎて痛い。ちゃりで遠出するといつも痛くなる。
「ガラパンのお股の部分の縫い目が駄目なんだが、ブリーフの縫い目を見てもあるいは女性もののパンツというかショーツもそうなんだろうか。デリケートゾーンをカバーするのだから女性ものの下着にはそういう思想が反映されているかもしれん。
行ってみよっと・・・」
かえって来たら暮れかかった空、細い上弦の月の隣に金星が輝いていた。
あの金星の位置はまるで僕の頬のほくろみたいだ。
そして空全体の色合いが、とんでもなく美しい。
endorphin
ナチュラル・ハイをアスリートだけが理解する。