Something New

広告宣伝

特定の宗教布教(宣伝)に当時貢献し王族に取り入ってきたのが

ダヴィンチ以降の芸術家であろう。市民革命前後の芸術をもっと

注意深く感察する必要がある。

産業革命前後の芸術も同様に注意が必要だ。これから心がけて

感察してみようと思う。

 

アンディーウォホールに見られる、絵画よりも”大量生産大量消費”を主たる目的とした

空っぽの、ただのメディア箱としてのアートは、即札束であることは画家本人が認める

ところである。

アメリカが戦争と武器商人(現在で言う軍産学複合体としての国)の先進であることを

隠した消費アートの奨励だ。

 

 芸術の中心地がパリからニューヨークに移ったのは、偽物アーティストがあたかも

ゴールドやオイルラッシュに群がるハエのごときに成り下がった”アートの劣化”を世

界的に物語っている。

 

現代アートが”新しくあるために保全すべき”は、アフリカであり中南米であり中東であり

中国山間部や北朝鮮に残る、無垢の自然である。

 

  そこからしか新しいSOMETHINGは生まれない

 

”多様化”という言葉の陰に事実として”種”の劇的減少が起きている。本来ならば不要な

博物館や美術館、動物園が増えても地球という唯一無二の動物園を顧みず、電子映像に

宗教的に取りつかれた現代人は、一反、一町や1ヤードといった空間距離を忘れ去って

肌で感じることなしに、数インチの平たい画面に映る世界を信じている。その中の意図

された世界に生きている。

 

そこには決して満たされない根源的なものを欲望に変換し、札束印刷機の背後にある

戦争を否定しながら無意識に支えているのが民衆とかPEOPLEとか呼ばれる人の塊だ。

 

言葉を替えれば奴隷である。

 

美術館は人間のみが展示してある動物園だ。

 

ヌードと神と髪と剥げ

生きている限り永遠に生え続け伸び続ける髪の毛は

獣の毛と違い伸び続ける。

髪の毛を一生切らないでいる信仰というのもある。

 

髪の毛というのは神を言い表すときにとても分かり易い生理である。

 

 

2017/09/04   jannmu

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