Something New

jannmu

九条は守らせるものだ

九条は権力に守らせるものだ。

 

国防と侵略は物理的には同じことだ

相手のある戦争テロなどの争いに勝とうが負けようが

人類は未だ”戦争行為”に勝利していない。

 

人が複数の集団となり、それぞれひとつの目的の為に

個人を犠牲にして争いに参加する状態が、敵と味方

傍観者あるいは救済者に分かれ、これら全体の情報に

誰も興味を持たない状態を戦争状態という。

 

人がそうなる要因と理由を明らかにして、憎悪に抑制を

かけることができるようにする教育をと合せて人権教育が

必要だ。

公を戒めるための九条だ。

 

コンピューターを作り出した思想は、人の心が壊れている。

 

マシンはマシンに過ぎない。

感情までもコンピューターに任せようとすることは、”新たな神”の

創造行為であり、特にキリスト教(一神教)的な潜在意識があり、

彼らの神を否定しようとする科学との表裏一体のものであろう。

 

原水爆を無差別殺人に使用されることを予想できなかった科学者と

戦場に牧師を送る教会同様だ。

 

外から見れば(無神論者)旧約も新約もコーランも般若心経なども

”同根”だ。

基本、勝戦も敗戦もその土地で暮らす人々と何の関係もない。

但し、どちら側も多くの罪なき人々が理由なしに殺される。

 

国家機密は必要か?を参照する。

 

自衛隊を国連(特にアメリカ)に軍隊と呼ばせない方法

 

「武装解除」

日韓米が北朝鮮に求めた核ミサイル開発断念と同じことだ。

 

国防どころか自国領内に墜落し死傷者を出したり自国民の

生活環境を軍隊の基地にそっくり提供するなど、狂人の仕業だ。

 

 

表現と同調圧力

 

 

 

 

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2018/01/29   jannmu

お茶っ葉とスポットライト

信ずる者は救われるというのは本当だろうか。信ずるも信じないも信ずる者と信じない者の自由なのだが、信じようと信ずまいと一定の期間ののちに、信じたこと信じなかったことが本当にそうであったのか、これは信じられあるいは信じられなかった者ではなく、そのことを決めた本人が振り返り考えることであるはずだ。

 

なので、ここに書かれていることを信じようと信じまいと、読者の主体性に任せたい。

 

先日、1月8日の晩にこの映画を家で見た。

 

映画「SPOT LIGHT」

spotlight-3.jpg

 

アメリカの地方新聞社の中の小さなプロジェクトチームが、キリスト教会の牧師の不正とそれを隠ぺいする教会を暴くという映画だった。

モラルを説く教会が、とってもアンモラルであった。あるいは同性愛者に対する偏見なども並行して考えさせられる。

ここまでは映画の中のお話だ。

 

 

さて翌日、1月9日の山手の丘は、明け方ころから強風が吹いた。私はいつものように丘の尾根をランニングしていると、異様な光景を見ることになった。

 

s_DSC_0151.jpg

2018/01/15 14:16   撮影 by jannmu

 

どうも私は偶然に出くわすことが多い。

それはつまり偶然の重なりという偶然が、度々起こるということなのだ。

 

スポットライトというと10年くらい前に書いたものがある。

機会があれば合わせて紹介したいと思う。

お茶っ葉についてはそこで。

「出涸らし」

 

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2018/01/27   jannmu
タグ:ねこ

暗くない夜

 

光と影は影と光


影は光の所有物ではなく、影として独立している


影は光の所有物ではなく、光の存在証明なのだ

 

光は影がないと存在できない


影は光を必ずしも必要としてはいない

 

暗闇は影の集合体


光はそこに存在しない


人は暗闇を忌み嫌う
暗闇では何も見えないという

 

人が視覚ばかりに頼っているから
暗くない夜が人を狂わせている

暗くない夜は人の想像力を退化させた
退化するベクトルに人を向かわせたのは光の幻影

暗闇こそが空なのだ

 

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2018/01/25   jannmu
タグ:

レビューと広告

初めてレヴューのようなものを書いたのが多分この文章なのではと

思い出している。

 

最近の一押しお気に入り

 

邦画について書いたものはこの記事だけかもしれない。

洋画は度々書いているのだが、本人にはレヴューなどといった

感覚は一切なかった。多分これからもないだろう。

 

実はミュージカル映画が嫌いだ。いや、嫌いだったというべきか。

サウンドオブミュージックだとかウエストサイドストーリーなど

内容とは関係なく、あのセリフを歌でやりとりするのがまどろっこしく

特に日本語訳の場合、歌の部分だけが原語だったりすると

もうがっかりものなのだった。

洋画をTVで覚えたからだと思っている。ありゃ駄目だ。

 

 

上記レヴューは独特の書き方をしているので、もしこの映画を見るときには

このレヴューも同時に思い出してもらうと、映画の楽しみ方が少し増えるかも

しれないと思う。

 

ミュージカル映画に対する私の固定概念を変えた映画が

「DREEM GIRLS」だ。

 

若い3人の女性が歌の世界で有名になっていく物語。

この物語に出てくる台詞でこんなのがある。

 

「後で追加」

 

素人のオーディションをすっ飛ばしてプロになってしまう件だ。

そういうのを幸運と呼ぶべきか、実力と幸運の偶然の出会いと呼ぶべきか。

彼女たちは「ウー」とか「アー」のバックコーラスから始めることになる

のだが、レヴューやコメントを書くのも実はこのバックコーラス似たこと

なのだ。

 

いまの芸能界を見た時にどうだろうか。

 

以前はこういった記事を無意識に結構書いていた。

そうすると、本文の下にあるようないわゆる業界のコメントが並ぶことになっ

ていったのだ。

 

映画の見方はいろいろあっていい。

レヴューの意味を調べると「評論」とか「批評」となっている。

私は論じたり評したりするつもりはまったくない。

ただ感じたままを書くのみなのだ。レヴューではない。

 

どうであれ、その文章を読み ”見てみようかな” と読者が思ったとしたら

それはその時点で広告なのだ。

 

そして最近は広告ということを、少し意識して書くようにしている。

しかし私のいう広告は、その作品から抽出した特定の部分を、私の持つ

主観をアピールするための広告媒体として使用しているわけで、結果と

して当該映画が見られることになるなら、それはそれなのだ。

 

横浜伊勢佐木町で、映画館の今昔をここで語るつもりはないが、激減して

いる。映画館に足を運んで映画を見ることを私もしない。

理由はひとつだけ。料金が高いから。

 

なので私が特定要素を抽出する映画はレンタルビデオとなるのだが、さて、

あの業界を考えれば、それも配給収入と現在はなっているはずなのだ。

 

そして忘れ去られようとしている映画に再度スポットをあてることは

いわば映画のリサイクルとも言えるのではないのだろうか。

 

良質の映画は良質の本や音楽と同じように、見るたびに新たな発見がある。

それがあるかないかで、単なる流行り映画なのかが分かるのだ。

さて、次はどの映画から抽出してみようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018/01/19   jannmu

悪魔の創造主

エイリアンは人間が創りだす。地球外からやってくるのではない

そのエイリアンはいずれ人間を滅ぼすことになる

神の名の下に悪魔を創造することと同じだ

 

戦時における軍法は、人が躊躇することなく殺人する教育を人に付し

戦場での殺人行為を正当化する

 

軍事法や軍事裁判所はこの星の生命を欺く詐欺であり、軍隊や武器を

殺人と破壊を肯定し合法化する諸悪の根源だ

 

武器経済は究極のインサイダー先物取引であり、たとえば中東の

戦争で武器供給が止まないのはこのためだ

 

9条の持つ平和理念を理論的に超えるものはいまのところない

武力に対し、無条件降伏であれそもそもそれ以前に平和は無条件なものだ

 

世界的な情報伝達の透明性がこれらの矛盾を解決するが、情報を歪める

現在の世界体制は実体のない過剰な供給を正当化し、過剰な廃棄という

新たな(無駄な)需要と供給を生み、そこに更に実体のない経済が膨らむ

バブルを演出する

 

その恩恵に神が浸る現代は、情報読解力と想像力を削られ立体的思考が

できないロボット人間に既に覆われていて、これを推進しようとする輩と

これに危機感を覚える人々の頭脳の闘いだが、後者が目先のカネに手を

出すならば途端にヴァンパイアやミイラ取りのミイラに変わってしまう

何も感じなくなってしまう

 

それでも魂を売らない人だけが年月を経て顕在化するのは

指し示し、導く立体性にほかならない

この意味において私は無神論といってはばからない

 

武器を売ることを肯定し、人を殺すことを否定する

少なくとも国連軍は二重人格ジキルとハイドそのものであり、人道に

おいても武器流入を規制しない国連は理論破綻を当初からしている

 

迷信、盲信から目覚めるときだ

人殺し、共食いという最悪に妥協はない

その撲滅を妥協させようとする何かが神であり悪魔であり人間だ

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2018/01/18   jannmu
タグ:落書き

子供のように

頭の先から足の爪先まで

前身で泣き、笑い、怒る

 

子供のように感ずる心

 

大人ぶった世界は不正義に対する

怒りを忘れている

喜びや希望をいつの間にか隠されている

四角い小さな箱の中から仮想の喜怒哀楽を与えられ

仮想の他人のドラマに酔う

 

夢はもう行ってしまったサーカスの跡地の電線に

引っかかった風船のように

煤けた風に揺られ萎んでいく

 

自然はひとときもとどまらない

とどまらず移ろいゆく

 

宇宙の創作した時間とともに

とどまらない自然だけが「無常」を持っている

自然だけが持つ「無常」に囲まれ包まれ

人間は感情を保つことができる

 

 

 

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2018/01/13   jannmu
タグ: , 自然

枝振り

「枝振り」


芽吹いたときから樹は踊りだす
地底でも地上でも踊っている
地底と地上の境目が括れている

 

画家が樹を描くときその舞いを表現できるだろうか
枝振りに加えられた人の痕跡に気づくだろうか

 

自然とはなにか
その考え方の入り口に立つことができるだろうか

 

果たして人は自然なのか
その問いに突き当たることができるだろうか

 

人が自然を思うとき
人為的人工的操作の先に生命の未来を瞬間的に案ずる

 

不自然とはなにか

 

人工授精体外受精代理母クローン技術そして遺伝子組み換え人間
少なくとも新たな差別が生まれる

 

性欲SEX欲はいったいなぜどこから生ずるのか
愛との違いはなにか

 

その裏腹に痛みが同時に生ずる
女性が分身として痛み
男性は後天的痛みとして感じ
時間とともに共通した痛みを持ち
それを愛と呼ぶとすれば

 

科学では表現できない痛み
科学以外でも問いを継続することでしか表現できない

 

問い続けることでしか表現できず
その問いこそが未来に残すべき継続で
そのことを愛と呼びたいと

 

感情を排除した眼差しで顕微鏡を覗く人に
Responsibilityとはなにかと問いたい

 

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2018/01/08   jannmu
タグ: , 自然 , 愛の詩

新しい価値観

新しい価値観ってなんだろう

新しい遊びってなんだろう

新しいものってなんだろう

どこにもないものってなんだろう

 

 

幼いころに家の外に遊びに出るとすべてが友達でそのすべてと、ただ遊んだ

芋虫だったり毛虫だったりミミズだったり

鼠だったり猫だったり犬だったり、あるいは彼らが寝床としている洞穴や樹木の生い茂るところだったり

 

そこにはお日様や雲やらがずっと空から覗いていて、止まっているようでいつも動いていた

 

なにして遊ぼうか?

 

そう全てに問いかけて、いつの間にか遊びに夢中になっていた

その遊びはそのとき限りの遊びで、あくる日にはまた違う遊びを思いつく

それは大人語でいうと、「条件が違うから」ということなのだけれど

その条件とは、空や大地にいる友達との意思の疎通ということになる

 

 

こうして少年は五感を研ぎ澄まし遊びの達人となっていくのだが

この星には遊びの達人と呼べるような子供が育たない

 

彼ら子供が友とするのは、たった5インチの小さな画面だけ

本来彼らの友達だった世界を大人が奪った結果

 

それをなんとかしたいと思う子供大人がいない

大人子供もいない

もちろん子供子供もいない

 

 

だから芸術は子供子供ばかりの芸術になってしまった

だから芸術は大人大人ばかりの芸術になってしまった

 

 

子供は全て芸術家だが、全ての子供が子どもではいられない

だから、芸術家は大人子供でいなければならないが

そこに新しい価値観が生まれるのだが

搾取される

芸術家は芸術家としてしか生きられない生き物なのだが

搾取される

 

そういう不寛容社会では芸術家から新しい価値観は生まれない

芸術家の真似ごとをする大人は多いが、大人子供でいられる者は数少ない

 

 

 

 

 

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2017/12/21   jannmu
タグ:

ひとを閉じ込めるもの

世界はいずれ混じり合う

臆病な人間の塊を保守という

 

枠や箱は檻と同じだ

その中でしか安らげない人間を愛国者とか国粋主義者という

 

彼らの特徴はみな同じで、肩で風を切って歩く

強面で相手と接する

そういう虚勢を癖として身に着けている

 

彼らは恐れるあまり、枠や箱や檻の外に暮らす人々を攻撃する

しかしすべて虚勢と見抜かれている

 

恐れるから攻撃し侵略する

 

 

彼らの下で人は不満を溜めこむことになる

彼らはその不満の塊を彼らが敵視する外に向けようとする

 

不満を溜めた人々もいずれその不満の相手が違うことに気づくだろう

 

虚勢は己を閉じ込めるものがなんなのか理解できないでいる愚か者どもの証だ

 

 

 

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2017/12/02   jannmu
タグ:

VIRTUAL CITY

過密と過疎の極端な格差

過疎をわがものとする独裁者

TVとスマホだけで現実を見ない教育(マトリックス)

政治を語ることはカッコワルイという風潮

焼却場が現代過密都市のガス室

 

これら全てが「自由」の名の下に行われている

プロパガンダ

 

過密土地の高騰とタダ同然の過疎地の独占がすすむ

 

 

 

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2017/11/25   jannmu
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