セイフク主義は?
人と同等のことで得られる安心感
人と違うことで得る優越感と劣等感
これらのバランスをそれぞれどこに求めるか
社会主義的な上段と自由主義的な下段のバランスをとることが
重要だ
それらを民主主義的に求めるか、権力や宗教から与えられるのか
「必ず腐敗する人間に、規制を与えるのは人間しかいない」という
大前提から、答えを導き出すことにする
腐敗とは、簡潔にいえば、カネに負けること
これが諸悪の根源だが、この世界のすべてが既に腐敗に汚染されている
人と同等のことで得られる安心感
人と違うことで得る優越感と劣等感
これらのバランスをそれぞれどこに求めるか
社会主義的な上段と自由主義的な下段のバランスをとることが
重要だ
それらを民主主義的に求めるか、権力や宗教から与えられるのか
「必ず腐敗する人間に、規制を与えるのは人間しかいない」という
大前提から、答えを導き出すことにする
腐敗とは、簡潔にいえば、カネに負けること
これが諸悪の根源だが、この世界のすべてが既に腐敗に汚染されている
会話が途絶えたときに流れる沈黙は
どうして暗闇のように感じられるのか
その奥底に隠されているものはなにか
会話を途切れさせてみる
その沈黙を楽しめるようになることを知る
人を操るものとはなにか
沈黙を恐れる心は観察することを覚えない
相手を空気のように感じられるまでにどれくらいの
沈黙を経験すればいいのだろう
恋したときの沈黙とどこが違うのだろう
現代において「装い」とは、服をまとうことではなく脱ぎ捨てるためにある
「装い」とは既成概念である
全て脱ぎ捨てたときに目の前に居る誰かこそが、愛である
愛は一人では生まれない
愛は着替えない
愛は着せ替え人形ではない
愛はまだ BATH ROOM に居る
All matter and everythings connected for one reason.
So I show you that every night in my dream just like Discotic DJ
This is the one
横浜に越してきてから6年目だが周囲の変貌ぶりは目まぐるしく落ち着かない。越してきたころの風景は大分変ってきている。
その中に一定の法則があるように思う。
土地分割。
以前は庭のある一軒家だったものが分割され、三軒四軒の建売住宅や大小の集合住宅が建てられて、裏路地の人通りも年々歳々増えている。
建物、住宅の間隔が狭まって、人の間合いも同様に狭まっている。
丘を上る細い坂道のあちこちには、崩落危険区域という表示板が立てられている。
近所の商店街はほとんどシャッターが下りてしまい住宅に建替えられている。商店街周辺の町医者と薬局と郵便局そしてコンビニだけに、客の人影が映っているようだ。
坂の路地はどちらも細く、大きな車両は入れない。ここで火災が起きた時にどうなるのだろう。風のないときでも、隣家に燃え移ることは間違いない。
どこかが過密化するとどこかが過疎化するが、どちらにしても街並みや風景は不自然に変わっていく。
人の間合いが変われば人の心に影響を及ぼすが、目に映るのは空以外全て人工物ばかりで、平地で遠くを見通すことは不可能な街のつくりは、世界中の都市部で共通していることだろう。
物理的に近視眼的にならざるを得ない。
昨日深夜には、隣家から笑い声がしばらく漏れ聞こえていた。
物理的な間合いが狭まれば狭まるほど、心の間合いは薄れていくように感じられる。同時に孤独が深まるのではないのだろうか。一人一台24時間、電話を携帯するのはその表れなのだろう。
街の風景が変わっても、お役所システムは変わっていない。この時代に未だ残る”お上感(お上にお任せ感)”は、お上、町人双方の関係性を街並みという形式で表しているように思われる。