Something New

2018年01月

レビューと広告

初めてレヴューのようなものを書いたのが多分この文章なのではと

思い出している。

 

最近の一押しお気に入り

 

邦画について書いたものはこの記事だけかもしれない。

洋画は度々書いているのだが、本人にはレヴューなどといった

感覚は一切なかった。多分これからもないだろう。

 

実はミュージカル映画が嫌いだ。いや、嫌いだったというべきか。

サウンドオブミュージックだとかウエストサイドストーリーなど

内容とは関係なく、あのセリフを歌でやりとりするのがまどろっこしく

特に日本語訳の場合、歌の部分だけが原語だったりすると

もうがっかりものなのだった。

洋画をTVで覚えたからだと思っている。ありゃ駄目だ。

 

 

上記レヴューは独特の書き方をしているので、もしこの映画を見るときには

このレヴューも同時に思い出してもらうと、映画の楽しみ方が少し増えるかも

しれないと思う。

 

ミュージカル映画に対する私の固定概念を変えた映画が

「DREEM GIRLS」だ。

 

若い3人の女性が歌の世界で有名になっていく物語。

この物語に出てくる台詞でこんなのがある。

 

「後で追加」

 

素人のオーディションをすっ飛ばしてプロになってしまう件だ。

そういうのを幸運と呼ぶべきか、実力と幸運の偶然の出会いと呼ぶべきか。

彼女たちは「ウー」とか「アー」のバックコーラスから始めることになる

のだが、レヴューやコメントを書くのも実はこのバックコーラス似たこと

なのだ。

 

いまの芸能界を見た時にどうだろうか。

 

以前はこういった記事を無意識に結構書いていた。

そうすると、本文の下にあるようないわゆる業界のコメントが並ぶことになっ

ていったのだ。

 

映画の見方はいろいろあっていい。

レヴューの意味を調べると「評論」とか「批評」となっている。

私は論じたり評したりするつもりはまったくない。

ただ感じたままを書くのみなのだ。レヴューではない。

 

どうであれ、その文章を読み ”見てみようかな” と読者が思ったとしたら

それはその時点で広告なのだ。

 

そして最近は広告ということを、少し意識して書くようにしている。

しかし私のいう広告は、その作品から抽出した特定の部分を、私の持つ

主観をアピールするための広告媒体として使用しているわけで、結果と

して当該映画が見られることになるなら、それはそれなのだ。

 

横浜伊勢佐木町で、映画館の今昔をここで語るつもりはないが、激減して

いる。映画館に足を運んで映画を見ることを私もしない。

理由はひとつだけ。料金が高いから。

 

なので私が特定要素を抽出する映画はレンタルビデオとなるのだが、さて、

あの業界を考えれば、それも配給収入と現在はなっているはずなのだ。

 

そして忘れ去られようとしている映画に再度スポットをあてることは

いわば映画のリサイクルとも言えるのではないのだろうか。

 

良質の映画は良質の本や音楽と同じように、見るたびに新たな発見がある。

それがあるかないかで、単なる流行り映画なのかが分かるのだ。

さて、次はどの映画から抽出してみようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018/01/19   jannmu

悪魔の創造主

エイリアンは人間が創りだす。地球外からやってくるのではない

そのエイリアンはいずれ人間を滅ぼすことになる

神の名の下に悪魔を創造することと同じだ

 

戦時における軍法は、人が躊躇することなく殺人する教育を人に付し

戦場での殺人行為を正当化する

 

軍事法や軍事裁判所はこの星の生命を欺く詐欺であり、軍隊や武器を

殺人と破壊を肯定し合法化する諸悪の根源だ

 

武器経済は究極のインサイダー先物取引であり、たとえば中東の

戦争で武器供給が止まないのはこのためだ

 

9条の持つ平和理念を理論的に超えるものはいまのところない

武力に対し、無条件降伏であれそもそもそれ以前に平和は無条件なものだ

 

世界的な情報伝達の透明性がこれらの矛盾を解決するが、情報を歪める

現在の世界体制は実体のない過剰な供給を正当化し、過剰な廃棄という

新たな(無駄な)需要と供給を生み、そこに更に実体のない経済が膨らむ

バブルを演出する

 

その恩恵に神が浸る現代は、情報読解力と想像力を削られ立体的思考が

できないロボット人間に既に覆われていて、これを推進しようとする輩と

これに危機感を覚える人々の頭脳の闘いだが、後者が目先のカネに手を

出すならば途端にヴァンパイアやミイラ取りのミイラに変わってしまう

何も感じなくなってしまう

 

それでも魂を売らない人だけが年月を経て顕在化するのは

指し示し、導く立体性にほかならない

この意味において私は無神論といってはばからない

 

武器を売ることを肯定し、人を殺すことを否定する

少なくとも国連軍は二重人格ジキルとハイドそのものであり、人道に

おいても武器流入を規制しない国連は理論破綻を当初からしている

 

迷信、盲信から目覚めるときだ

人殺し、共食いという最悪に妥協はない

その撲滅を妥協させようとする何かが神であり悪魔であり人間だ

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2018/01/18   jannmu
タグ:落書き

子供のように

頭の先から足の爪先まで

前身で泣き、笑い、怒る

 

子供のように感ずる心

 

大人ぶった世界は不正義に対する

怒りを忘れている

喜びや希望をいつの間にか隠されている

四角い小さな箱の中から仮想の喜怒哀楽を与えられ

仮想の他人のドラマに酔う

 

夢はもう行ってしまったサーカスの跡地の電線に

引っかかった風船のように

煤けた風に揺られ萎んでいく

 

自然はひとときもとどまらない

とどまらず移ろいゆく

 

宇宙の創作した時間とともに

とどまらない自然だけが「無常」を持っている

自然だけが持つ「無常」に囲まれ包まれ

人間は感情を保つことができる

 

 

 

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2018/01/13   jannmu
タグ: , 自然

枝振り

「枝振り」


芽吹いたときから樹は踊りだす
地底でも地上でも踊っている
地底と地上の境目が括れている

 

画家が樹を描くときその舞いを表現できるだろうか
枝振りに加えられた人の痕跡に気づくだろうか

 

自然とはなにか
その考え方の入り口に立つことができるだろうか

 

果たして人は自然なのか
その問いに突き当たることができるだろうか

 

人が自然を思うとき
人為的人工的操作の先に生命の未来を瞬間的に案ずる

 

不自然とはなにか

 

人工授精体外受精代理母クローン技術そして遺伝子組み換え人間
少なくとも新たな差別が生まれる

 

性欲SEX欲はいったいなぜどこから生ずるのか
愛との違いはなにか

 

その裏腹に痛みが同時に生ずる
女性が分身として痛み
男性は後天的痛みとして感じ
時間とともに共通した痛みを持ち
それを愛と呼ぶとすれば

 

科学では表現できない痛み
科学以外でも問いを継続することでしか表現できない

 

問い続けることでしか表現できず
その問いこそが未来に残すべき継続で
そのことを愛と呼びたいと

 

感情を排除した眼差しで顕微鏡を覗く人に
Responsibilityとはなにかと問いたい

 

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2018/01/08   jannmu
タグ: , 自然 , 愛の詩
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