Something New

2019年2月

埋もれた言葉の断片(塵)の輝き

言葉は目に見えないから空に融けていってしまう

言葉を拾い集め紬だせば輝きだす

言葉は砂浜の貝殻のようであり砂の粒のようでもある

輝いている言葉を心に繫ぎ止める術はないものか

 

あたりまえの輝きが希少になるのは

相対的な歪みを持つからだ

 

あたりまえの美しさを見落としてしまうと

ただのごみ拾いになってしまう

 

あたりまえが当たり前でなくなることを経済というならば

私はそういうものを拒み続けたい

 

竜宮城の砂浜は目も眩むほど白く輝いていた

竜宮城での酒池肉林が砂の白さを濁らせた

濁った砂の箱に閉じ込められた自由が

濁った水の中を泳いでいる

 

その眩しさの記憶は

いまや大海の水に溺れようとしている

 

 

 

美ら海の砂塵

 

 

 

 

 

 

≫ 続きを読む

2019/02/28   jannmu
タグ: , 自然 , memo , 愛の詩 , SPACE

手段と目的

 表現は思考の試作であり

 

 それまでの常識を変えて普遍化する力を持っている

 

 奇をてらうものではなく

 むやみに壊すものでもない

 

 普遍化とはいまの時代

 

 少なくとも世界に一石を投じることであり

 

 表現はそのための手段である

 

 

                  2019.02.17 正午

 

 

 

 

 

 

≫ 続きを読む

2019/02/20   jannmu
タグ: , 自然 , 落書き , memo , 愛の詩 , SPACE

偶然と必然と奇跡の関係性

奇跡という偶然の中に奇跡が起こるのは必然であり

 

奇跡なくして必然は起こりえない

 

その奇跡である偶然がこの星であり

 

ゆえに人間は必然だから

 

星の自然を制御しようとすれば必然によって人間は滅ぶ

 

 

自然から遠のく生活様式は旧時代的であり

 

人間の感覚や能力を退化させ必然以前の奇跡に閉じ込めてしまうだろう

 

 

この奇跡の星があるかぎり

 

自然以外のすべてが必然であるはずだ

 

 

天文学的に超越した確率でも

 

想像もつかないほど広大な宇宙のなかに

 

この地球があるかぎり奇跡は起こるのであり

 

この地球があるかぎり奇跡は必然である

 

そして必然の奇跡は「警告」でもある

 

 

 

s_Recovered_JPEG Digital Camera_129.jpg

 

 

 

2008/02/25

わがまま坊や

 


孤独を愛し

 


孤立を恐れ


調和を嫌い


今夜もアンバランスが浮遊する


俺が欲しいもの


望んでいるもの


俺が会いたいひと


力いっぱい抱きしめたいひと


それは愛
それは、
雪女      

 

投稿日 2008/02/25 Feel something | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0) 

 

 

 

 

 

 

 

2008/02/28

間引き

 


動物保護といいながら、数が多くなりひとの畑なんかを荒らしにきたり


ひとに害を加えるようになると、銃で撃つ、殺す


人間のエゴで消えてゆく命たち

 


俺たちはせめて、肉を食らい革を剥いで、その失われた命を余すことなく、これ以上無駄にすることなく、大切にしてゆかねばならない


人間の世界でも「戦争」という「間引き」が今でも行われている


全世界の人口は増え続ける。その一方で、他の動植物たちは、ひとつ、またひとつと
絶滅してゆく


仮に今、間引かなくてはいけない最終段階だとして、
間引かれるべきでない人間が、間引かれるべき人間に、間引かれている
本当に間引かれるべき人間はだれなんだ


そいつらの肉はきっと脂がのっていて、餌も最高のものを食っているだろうから、さぞかし美味いんだろう
それでもしかし、ひとが人の命を奪うなんてあり得ないこと。あってはならないこと
じゃあ、どうしたらいいんだ


人間以外の命とも、共存してゆくにはどうしたらいいんだ   

 

 

投稿日 2008/02/28 Feel something | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0) 

 

 

 

 

 

 

 

≫ 続きを読む

2019/02/16   jannmu

1+1=2の憂鬱

僕らの周りは1+1=2という、もはや信仰に近いモノで溢れている。

 

科学や数学がすべてを解明したかというと、解明できていないコトの

ほうがはるかに多い。

その解明できていないモノを扱う前提としての1+1=2という数学

における単なる決まりごとが、今や社会の真理のように扱われていて

人々はそのコトに疑いを持とうとしていない。

 

1+1=2では表せないコトのほうが多い。

 

たとえば僕らのこころの中のほとんどは1+1=2では表せないし、夢

や友情とか愛などもとてもじゃないが1+1=2なんて記号で表せるは

ずがないコトは説明すればだれでもわかるはずなのに、その場でわかっ

てもすぐに忘れて、また1+1=2の世界に戻ってしまう。

 

僕らの命を1+1=2で表そうとしている人がいることは知っている。

僕らの命を1+1=2で表そうとしている人は、僕たちを労働力という

名称で呼んでいる。

僕らの中にもそんなこととは知らずに自分たちを

労働力と呼んでしまう1+1=2的な人がいることも知っている。

 

命を1+1=2にするためには平準化とか平均化という作業が必要になる。

平均値とか統計値という。

平均値はそういう人の数が一番多いということを表す1+1=2ではなく

統計値も人々を統計に沿うように強制するモノではなく、統計や平均から

外れていることに罪悪感を言外に与えようとする情報を操る1+1=2の

人々がいるということを表しているに過ぎないし、それとても単なる目安

でしかない。

 

1+1=2で表すことができないから、その表せないモノやコトを言葉で

補ったり、音楽だったり、お絵かきだったり、それが大人のゲイジュツと

いうモノのはずなんだが、僕たち日本人はゲイジュツと言われるとなんだ

か気後れして尻込みしてしまう。

 

科学や数学や文芸とかゲイジュツなど、これらでなんとかひとつのモノゴ

トを完璧とはいかないまでも、ひとつの表現方法だけよりももっと心理に

近い表現ができるはずなんだ。

 

だから僕は科学や数学や音楽や絵画などそれぞれのスペシャルになるコト

よりも、全部、広く、最初は浅くからでいいから知って感じるコトが大切

なんじゃないかと思うんだ。

 

スペシャルな人も必要だけど、スペシャルになればなるほど他のコトを全然

知らなかったりするのでは意味がないじゃない。

 

1+1=2で割り切れないコトに君がもし思い悩んでいるのなら、1+1=2

で割り切れないのが人間なんだと思いなおしてみると、意味のない日常の憂鬱

から解放されるはずだ。

 

小さな島国で育った僕らは神経質にできているから、1+1=2の呪縛に陥り

やすいんだ。

 

それよりも丘の上からみた東京の空のある高さから地上に近づけば近づくほど

くぐもった色のグラデーションになっているのは、つまり僕らはあのくぐもっ

た空気の中で日々呼吸しているのだと思うと、それは科学的にも医学的にも文

芸的にも1+1=2の悪しき追及の果てが見えるようで、そのコトのほうがと

ても憂鬱なんだ。

 

 

 

 

≫ 続きを読む

2019/02/16   jannmu
リンクバナー受付け