チャリパン
宇宙の果てのある温暖化しはじめた惑星にチャリという木の実が生っている。
この木の実を収穫し、熟成させてからすり鉢で潰して、布で濾したものを砂糖で煮詰めて瓶詰にして、また熟成させてパン生地に入れて焼いたものをチャリパンといって、とても美味しいのだ。味はビタースイートアンドサワーとでもいえばいいのか、とにかく美味しい。
長年チャリンコであちこち遠出をしていると、一時間くらいペダルをこぎ続けると全ての感覚が開いてきていわゆるランナーズ・ハイになる。最近は自然の中を歩いているだけでそうなることができるようになった。この場合、ナチュラル・ハイというのが感覚的に近いかもしれない。
なので行きはよいよいなのだが帰りが怖い。帰りの電車やバスの中では既に感覚が全開フル回転しているので、音や匂いにとても敏感になる。
しかし音に関してはそういうことが以前からあるために、ノイズよけとしていつも音楽を聴いている。森林や海辺の自然の音、波長は音楽の基本だろう。しかし圧倒的に違うのは「究極ナンセンス」なのだ。これに音楽は太刀打ちできない。それでも人間の創った音楽で少なくとも雑音からは解放される。が、マスクをしていても匂いには勝てない。
以前「distance」というタイトル記事でも紹介したが、人工的科学的な香料にとても弱いのだ。
電車で座席に座っているとどこかの外国人が隣に座ったが、彼の香水が私にはキツいので即刻席を移動した。悪く思わないでほしいと思う。女性であっても同様だ。周囲10mくらい匂うだろうななんていう香水の付け方をしている人を私は馬鹿みたいに避けて歩くのだ。
もっと感覚がフル全開の時に、例えばスーパーやデパ地下などの食糧品売り場に行くと、それはもう説明のできないほど私は別の世界にいるということになる。
それは10年以上使い込んだ冷蔵庫とおさらばするときに、電気プラグを抜いた1時間後にその冷蔵庫の中に飛び込んでしまったような感覚なのだ。
排ガスとエンジン音とモーター音やクラクションとかくだらない横断歩道の電子音、不必要に高い建物から反射する光や熱、夏の暑さでアスファルトから立ち上る蜃気楼の鼻腔を突くほどの油臭さなど、街は雑音とノイズと異臭多すぎる反射光で充満しているのだが、それを感ずる度合いが多分他人よりもなんて言ったらいいのかわからない。
私のそういった感覚に優しい自然と、それに対しこれ以上なにをどう開発しようってんだよ、というような駅前、市街地などとのギャップは人を狂わせる。人の感覚を狂わせていると思うのだ。
女性もののパンツをここのところ数枚購入した。チャリンコをこいで1日の殆どを過ごすような日には、帰ってきてからお尻の穴より少し玉よりのデリケートな部分が擦り剥けてしまってとても痛い思いをこれまでしていたが、どうにかならないものかと常々思っていた。
思っているだけでは何も解決しないのだが、それでは何をどうすればいいのか分からない。そういうときには原因をつきとめるのだ。原因はガラパンの縫い目であった。
このデリケート部分に縫い目のない下着はないものかとあちらこちら見て回って、女性下着売り場の店員さんに聞いてみたりもした。ちょっと恥ずかしかったけど。
チャリンコ専用ウエアのスポンジクッションのはいったアレは猿のお尻みたいでカッコ悪いし嫌だった。初めに買った女性パンツはサイズが合わなかったし、そもそも腰の骨格が違うのでチャリンコをこいでいるとズリ下がってしまい要を満たさない。
次にサイズダウンしたものを購入して見たら何とかいけた。
そうして夏チャリ万全の構えを怠りなく準備していたのだが、どうもコロナで捗々しくないのだ。早くコロナ検査がチャリンコでもドライブスルーできるような体制を望みたいものだ。
なんのこっちゃ分からなくなったので、この辺で。
ギャラリー木の実さんありがとう。
神奈川県立茅ケ崎里山公園にて