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ねこ

記号

士のつく職業

師のつく職業

官のつく職業と公務員

あと政治家

ほかにもあるが、

これらが記号と化している。

ただそれだけでエライと自他ともに認めていることが問題だ。

 

客席の照明が少しずつ暗くなる。劇場では爆発音や機関銃の音が

響き観客のざわめきとが少しずつクロスフェード、暗点板付きで幕が

あいた。

稲妻のような光に1人の人間が映し出される。

髪の毛はぼさぼさ顔は黒く煤け着ている。物はぼろぼろで、ところど

ころ焼け焦げて、はだしで地面に突っ伏している。

 

こういう場面設定があったとする。

これが「記号」なのだ。

問題はその役者がその後どんな台詞を言うのか言わないのか、表情はど

うか動きはどうか。

役者の力量が出る。

 

TVに出てくる面白いという「記号化」された人。

言っていることは大して面白くはないが「面白い」という風に記号化

されている。

メディアの望む記号を演ずることにより、自他ともに認める”記号とし

ての面白い人”が完成する。

TVを見ている人も、この「面白い記号」を好んでいて、面白くなくて

も笑える特技を持っている。これをTVピープルという。

 

面白いと記号化されたその人が、メディアによってつくられた己の

虚像を壊しにかかるのかそうでないのかで、単なるお笑いなのか

アーティスト(コメディアン)なのかが分かる。

 

 

アーティストといえば、美術館は人間観察には欠かせない場所だ。

 

横浜のとある美術館

 

篠山紀信の写真が展示されていた。

あるコーナーには有名な男性クラシックバレーダンサーの特大ヌード

写真が展示してあった。一糸まとわない姿だった。

 

日本女性はその展示を避けて通るという不思議な現象が起きていた。

アーティストの写真を記号として受け取る女性の生態がそこに観察でき

たのだった。

 

その作品が性別を超えられていないということでもあるように思うの

だった。

 

 

電車に乗っていたら、宙吊り広告に「清純・・・」という大きな文字と

若い女性の水着姿が載っていた。

 

ここにも「記号化」された何かがある。

 

清純というのは、その女性なりの心の状態を示すものだが、記号化され

た清純は、水着を着て大人のカネ儲けの為にグラビアに掲載されること

を示すようになってしまう。

つまり言葉が、カネ儲けによって歪曲され記号化されるという分かり易い

例である。

こういった部分は国や宗教観によって微妙に異なるだろうし、個人ごとに

違いがあるだろう。

そういったことを少なくとも2000年考えさせないことに成功している

のが日本の国体というものだ。

しかしその国体から言っても、水着を着てカネ儲けの為のグラビアに掲載

されるために、スタジオでカメラの前でポーズをとることを「清純」とは

言わないのではないのか。

 

考えさせない教育を付すために、記号ばかりを暗記するのが詰め込み教育

だ。考えることと、ただ丸暗記することとは全く違うのだ。

マークシートで答えを選ぶ教育は、子供たちに考えることをさせない。

既にある答えを選ぶだけ。

考えずに選ぶだけ。

 

3つか4つある選択肢の中から選ぶだけ。考えなくていい。

選択の仕方を学ぶのが受験教育という愚の骨頂教育の正体だ。

 

選挙ではこの選択と考えることを同時並行的に有権者として、人と

して求められるのだ。

18歳からの選挙制度の法案は、国会の右から左までが大賛成して

可決されたが、本来ならば上記に書いたような教育から見直して、そ

の成果を議論しつつ、ようやく18歳からとならなければ順序として

おかしい。

 

そもそもアベ始めは、教育基本法改正と防衛庁を省に格上げすること

からなのだった。

 

つまり国体は、用意周到に時間をかけてこの腐敗を敢えて生んでいる。

気づかせないように、考えさせないようにして、腐敗を敢えて生んで

いるのだ。

 

そういう中長期的なものの見方考え方が、日本人には欠けていることに

少しでも多く気付くことが大切だ。

 

社会の腐敗は1人の人間の状態を示すのではなく、仮初であっても

民主主義ならば、何人中何人が腐敗しているかで決まる。

 

国政選挙では約半分が投票に行かないこの国。

地方選挙では約7割の人々が投票に行かないのがこの国。

しかし、慣れていないだろうが考えてみよう。

地方自治体を別名「基礎自治体」と呼ぶのは何故なのかを。

 

 

 

そして幼子から想像力を奪うのは親だ。

駅ちかで交通の便が良く学校が近くにあって病院その他の施設が充実

している町が良いという。

 

そういう記号でこの国は、北は北海道から南は沖縄まで、開発という

美名のもとに、ヒートアイランド都市がいまも造られていて、

そこにはペットである飼い犬と飼い猫と人間しか住んではいないのだ。

 

絵本を読み聴かせる親自身が、動物を絵本の中だけに閉じ込めている

ことに気づかない。

だから基礎となる、自分が住む町の選挙に足を運ぶことをしない。

 

s_gold.jpg

写真を追加しましたので、是非ご覧になってってくださいね。

http://honjin-1.com/Gallery/archives/25

 

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2018/06/28   jannmu
タグ:ねこ , 自然 , memo

A sense of incompatibility with the all peoples should have the a right to liberty and equality

今日現在で「天賦人権説」にはこうある

天賦人権説(てんぷじんけんせつ)とは、すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつという思想。西洋の自然権思想。

 

A sense of incompatibility with the all peoples should have the a right to liberty and equality

 

欧米の行き過ぎた個人主義に対する違和感を以前から持っている

それは上記の思想からくることにたったいま気づいたので忘れないうちに書いておこう

 

この思想が生まれたのは18世紀なので独裁者が許容されていた時代

独裁者と神が結託していた時代でもある

マルキドサド「悪徳の栄え」に詳しい

 

この人権に対する説を否定しないが、18世紀以降進化していない

思想が深まっていないのだ

 

個人が生まれながらに持つ権利はそれぞれに対等イコールであるが

個人が天(神)から与えられたその権利を主張し行使しようとすると

個人と個人の間に論争が巻き起こる

あるいはそれが束になったときに戦争が起きることになる

 

もう一歩進んでみると

個人が己以外の個人の人権をなによりも尊重することを全ての個人が自覚すること

これにより平等イコールを保つこととする

 

天(神)から与えられた権利ではなく、その個人が己以外の全ての個人に与えるものなのだ

とすると、初めて天(神)からではなく、人間同士で与え合うという考え方になるはずだ

 

これなら戦争は起きないように思う

欧米個人主義が行き過ぎた個人主義として、私個人が違和感を持つ理由の根源は

天賦人権説に対してであるようだ

あるいはこの説が3世紀ものあいだ進化していない事実に対してなのだろう

 

犬猫や猿も自己主張して己の権利(欲望)を守ろうとする

社会性を帯びた動物である人間が主張を通そうとすると集団的な争いになる

その根源的思想が天賦人権説にあるとすれば、戦争が終わらない理由がはっきりする

 

個人の人権を守り、且つ、争いを無くすには

個人が己以外の人々全ての人権を尊重することを第一義とすると

それはそのまま自分個人の権利が守られるという考え方に進化することになる

 

端的にいえば「愛には愛」ということになろうか

「武力」に対し「武力」で対抗する歴史に終止符をうつときだ

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018/05/30   jannmu
タグ:ねこ , 自然 , memo

お茶っ葉とスポットライト

信ずる者は救われるというのは本当だろうか。信ずるも信じないも信ずる者と信じない者の自由なのだが、信じようと信ずまいと一定の期間ののちに、信じたこと信じなかったことが本当にそうであったのか、これは信じられあるいは信じられなかった者ではなく、そのことを決めた本人が振り返り考えることであるはずだ。

 

なので、ここに書かれていることを信じようと信じまいと、読者の主体性に任せたい。

 

先日、1月8日の晩にこの映画を家で見た。

 

映画「SPOT LIGHT」

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アメリカの地方新聞社の中の小さなプロジェクトチームが、キリスト教会の牧師の不正とそれを隠ぺいする教会を暴くという映画だった。

モラルを説く教会が、とってもアンモラルであった。あるいは同性愛者に対する偏見なども並行して考えさせられる。

ここまでは映画の中のお話だ。

 

 

さて翌日、1月9日の山手の丘は、明け方ころから強風が吹いた。私はいつものように丘の尾根をランニングしていると、異様な光景を見ることになった。

 

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2018/01/15 14:16   撮影 by jannmu

 

どうも私は偶然に出くわすことが多い。

それはつまり偶然の重なりという偶然が、度々起こるということなのだ。

 

スポットライトというと10年くらい前に書いたものがある。

機会があれば合わせて紹介したいと思う。

お茶っ葉についてはそこで。

「出涸らし」

 

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2018/01/27   jannmu
タグ:ねこ
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