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落書き

お濠の大白鳥

夏も冬も、お濠(ほり)に・・・大白鳥はいつも淋しそうにしている。

 

ある日誰かが話しかけた。

「君はいつもそこに一人でいるね」

「ええ」

 

「友達はいないの?」

「かるがもちゃんたちは育つと飛んで行くのよ」

 

「君は?」

「かもちゃんと違って、TVには映らないでしょ?それが答えよ。」

 

「でもここには多くの国々から沢山の人々が訪れるけど?」

「知らないの?彼らは過去からやってくるのよ。彼らは権威が絶対的に強い時代からやってくる。」

 

「権威?」

「TVよ」

「かるがも?」

「TVに映らないものって分かる?」

「クイズ?」

「そう」

 

真夏の濠は独特の臭いが漂っている。濁った水から一尾の鯉が頭を出して大きなあくびをした。

「”TV”に映らないものが君のいう権威?」

「一部よ」

 

「権威は権威を映さない?」

「都合のわるいところはね」

 

この権威の二派の入り口で、門番に呼び止められたのを思い出す。僕のTシャツの背中には”裸の王様”がプリントされている。

 

「」

 

 

戦争時代の破滅、破局型恋愛観が潜在する世代が作った日本の一般的幸福は、自虐よりも酷い。

 

コンピューター(計算機)の覇権主義は、人間によるプログラム(映画がついた嘘)

(覇権主義者が発明したものがコンピュータだが、プログラムは変えられる。その時に、人間は時間から解放されるが、時間の使い方を知らない人間が何処に向かうのかが問題なのだ。洗濯と飯炊きで一日が終わる時代から、それらをコンピューターに任せてTVを見、満員電車で仕事場に駆り出され、賃金から頭ハネされ、ガード下の安酒屋でも付加価値税とやらを搾取されている)

人間という創造主(神は人間の創造物)がコンピューター(計算機)を神格化したものが、常時接続オンライン台のスマホ文化であり

バカ相手の神教多神教混合宗教の新しいバージョンだ。

 

 

 

 

 

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2017/09/25   jannmu
タグ:落書き

6度の集まり

短い針が12から右側に90度より過ぎ

長い針が12から左側に90度

 

これをひとは瞬時に3:45(15:45)という時刻の単位に置き換えることができる。

このアナログからデジタルに変換する作業は、人間の脳が持っている特徴だ。

 

デジタルの時計に慣れてしまうと、アナログへの変換ができなくなる。

脳(想像力)の劣化だ。

現代人はそのことをよくよく考え直さなければならないだろう。

アナログ時計には時刻以外にも、太陽の傾き加減やその時々の五感で感ずる何かが含まれているが

その感覚を大切にしなければならない。

 

60進法と10進法、そして360度

60時間は2.5日

7日で1週間

30日31日で1か月

しかし365日が1年。

これは本当に正しいのか?

 

地球上で巨大な力が働いたときに、軸がずれる、軌道がずれる、回転速度が変わる、大気の流れが変わる、

微かであっても物理的には大いに考えられることだ。

 

 

”とき”を表す単位や構成が重複することによる端数はどこへいく?

労働という反復行為から”とき”を考えると、週7日に労働日と休日が繰り返されるが正しいか?

 

アナログやデジタルを「表現」と捉えると、どちらが体内時計に近いか?

現代人の体内時計は狂ってはいないか?

 

 

 

 

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2017/09/07   jannmu
タグ:落書き

不思議?は創造の芽である

王制、独裁制、専制などの志向性を持つ者たちに

例えば月に集まってもらう。

 

送り出す前に信念をくれぐれも聴いておく。

定員を決める。この少数定員で世界を支配するための合宿をしてもらう。

 

食糧、水、冷暖房や調理の為の最低限必要なエネルギーを持たせてあげる。

最終的な結論がでるまで合宿は続くこととする。

プライベートを除き、合議はノーカット撮影して閲覧できることが地球臣民に与えられた最低の権利とする。

 

”月で行われる喜劇”はいかに・・・

 

毎年ヨーロッパのほうで私的会合が開かれている。

あたかも世界的公的会議のように報道されている。

 

 

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2017/09/04   jannmu
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commercialism and narcissism

世界が誰かへのオマージュに溢れているとして

その誰かにとり、喜ぶべきことなのだろうか

金がないと死する世界において

 

 

コマーシャリズムとナルシシズムが突出して

自己顕示欲と性欲が肥大した人類は

目的を「生きること」よりも「人生を換金すること」に変更した

 

大切にするだけで多くの恵みをもたらしてくれる大地に

黒い蓋をして、自ら危機を創作している

全てが万事このことにつきるが

知識人と呼ばれる人種がこのことを否定している

 

 

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2016/11/14   jannmu
タグ:落書き

『おとなは、みんなうそつきだ!』

おとうさんも、おかあさんも、うそつきだ!

 

おとうさんやおかあさんは、ぼくたちわたしたちよりもはやくおきて、ぼくたちわたしたちをおこしてくれるけれど、がっこうにちこくするからというりゆうだけ。

そのときにおとうさんは、わいしゃつにねくたいをしめながらおはようといい、おかあさんはちんしたあさごはんをだしながら、しゅくだいやったのときく。

ぼくたちわたしたちのきもちはきいてくれない。

 

おとうさんのわいしゃつは、おかあさんが、くりーにんぐにだすけれど、おとうさんもおかあさんもあいろんをかけたことがない。

がっこうのかえりみち、ちょっとよりみちしてくりーにんぐやさんのおじさんが、おしごとをしているようすをみた。

わいしゃつのくりーにんぐをするときにはらうりょうきんは、おしごとのたいへんさをしらないとわからないはずだけど、おとうさんもおかあさんもあいろんをかけたことがない。

 

そういえば、くりーにぐやさんは、まんいんでんしゃにのったことがないので、そのつらさをしらないといっていた。

 

ぼくたちわたしたちは、がっこうでおえかきのじかんに、せんせいがきめたてーまでえのぐをよういするけれど、おとなのことばでは「けいもうぽすたあ」というらしい。

「まなーをまもろう!」とか「ぽいすてやめよう!」とか「かわをきれいに!」とか「みずをよごさないで!」とか「しぜんをまもろう!」とか。

ぼくたちわたしたちは、おとなたちがだれも、だれひとりそのことをまもらないことをしっている。
しっているけれど、えをかかされる。

 

そういうえをかくと、ぼくたちわたしたちも、うそつきなおとなのなかまいりになるみたいでとてもいやだけど、おとなたちは、そういうぼくたちわたしたちのきもちをまずはじめにきこうとしてくれない。

しかたなくぼくたちわたしたちは、うそつきおとなのまねをして、いつのまにかなかまいりさせられてしまう。

とてもいやだけれど、ぼくたちわたしたちがおとなになったときには、たぶんわすれてしまっているんだろうなとおもう。
そういうのが、とてもいやだとおもう。

 

このまえ、どうきゅうせいのきょうだいがかよっている、ようごがっこうにいったら、ろうかにはってあったたくさんのえが、ないていた。あんなにないているこどものえをはじめてみたのでおどろいた。
おとなたちはどうしてあんなにかなしいそうなえばかりはることができるんだろうかと、とてもふしぎにおもった。

きょうしつでかいたえやでんしゃやばすのなかにはってあるえとはぜんぜんちがうのに。


おとなたちは、みんなうそつきだと、おもった。

あとからしったけど、あいろんのことをぷれすとえいごではいうらしい。

 

 

夕べ見た夢のひとこま。

とてもイタイ夢だった。


夏の終わりころ 9月2日

 

 

dressed city lie

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2016/09/09   jannmu
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