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手段と目的

 表現は思考の試作であり

 

 それまでの常識を変えて普遍化する力を持っている

 

 奇をてらうものではなく

 むやみに壊すものでもない

 

 普遍化とはいまの時代

 

 少なくとも世界に一石を投じることであり

 

 表現はそのための手段である

 

 

                2019.02.17 正午

 

 

 

 

 

 

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2019/02/20   jannmu
タグ: , 自然 , 落書き , memo , 愛の詩 , SPACE

偶然と必然と奇跡の関係性

奇跡という偶然の中に奇跡が起こるのは必然であり

 

奇跡なくしては必然は起こりえない

 

その奇跡である偶然がこの星であり

 

ゆえに人間は必然だから

 

星の自然を制御しようとすれば必然によって人間は滅ぶ

 

 

自然から遠のく生活様式は旧時代的であり

 

人間の感覚や能力を退化させ奇跡に閉じ込めてしまうだろう

 

 

この奇跡の星があるかぎり

 

すべてが必然であるはずだが

 

 

天文学的に超越した確率でも

 

想像もつかないほど広大な宇宙のなかに

 

この地球があるかぎり奇跡は起こるのであり

 

この地球があるかぎり奇跡は必然である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019/02/16   jannmu

1+1=2の憂鬱

僕らの周りは1+1=2という、もはや信仰に近いモノで溢れている。

 

科学や数学がすべてを解明したかというと、解明できていないコトの

ほうがはるかに多い。

その解明できていないモノを扱う前提としての1+1=2という数学

における単なる決まりごとが、今や社会の真理のように扱われていて

人々はそのコトに疑いを持とうとしていない。

 

1+1=2では表せないコトのほうが多い。

 

たとえば僕らのこころの中のほとんどは1+1=2では表せないし、夢

や友情とか愛などもとてもじゃないが1+1=2なんて記号で表せるは

ずがないコトは説明すればだれでもわかるはずなのに、その場でわかっ

てもすぐに忘れて、また1+1=2の世界に戻ってしまう。

 

僕らの命を1+1=2で表そうとしている人がいることは知っている。

僕らの命を1+1=2で表そうとしている人は、僕たちを労働力という

名称で呼んでいる。

僕らの中にもそんなこととは知らずに自分たちを

労働力と呼んでしまう1+1=2的な人がいることも知っている。

 

命を1+1=2にするためには平準化とか平均化という作業が必要になる。

平均値とか統計値という。

平均値はそういう人の数が一番多いということを表す1+1=2ではなく

統計値も人々を統計に沿うように強制するモノではなく、統計や平均から

外れていることに罪悪感を言外に与えようとする情報を操る1+1=2の

人々がいるということを表しているに過ぎないし、それとても単なる目安

でしかない。

 

1+1=2で表すことができないから、その表せないモノやコトを言葉で

補ったり、音楽だったり、お絵かきだったり、それが大人のゲイジュツと

いうモノのはずなんだが、僕たち日本人はゲイジュツと言われるとなんだ

か気後れして尻込みしてしまう。

 

科学や数学や文芸とかゲイジュツなど、これらでなんとかひとつのモノゴ

トを完璧とはいかないまでも、ひとつの表現方法だけよりももっと心理に

近い表現ができるはずなんだ。

 

だから僕は科学や数学や音楽や絵画などそれぞれのスペシャルになるコト

よりも、全部、広く、最初は浅くからでいいから知って感じるコトが大切

なんじゃないかと思うんだ。

 

スペシャルな人も必要だけど、スペシャルになればなるほど他のコトを全然

知らなかったりするのでは意味がないじゃない。

 

1+1=2で割り切れないコトに君がもし思い悩んでいるのなら、1+1=2

で割り切れないのが人間なんだと思いなおしてみると、意味のない日常の憂鬱

から解放されるはずだ。

 

小さな島国で育った僕らは神経質にできているから、1+1=2の呪縛に陥り

やすいんだ。

 

それよりも丘の上からみた東京の空のある高さから地上に近づけば近づくほど

くぐもった色のグラデーションになっているのは、つまり僕らはあのくぐもっ

た空気の中で日々呼吸しているのだと思うと、それは科学的にも医学的にも文

芸的にも1+1=2の悪しき追及の果てが見えるようで、そのコトのほうがと

ても憂鬱なんだ。

 

 

 

 

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2019/02/16   jannmu

A Letter

Long long time ago

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Once upon a time

 

 

 

Somebody throughout a letter big ocian in a bottle every day

It'll don't know be taken Who When the letter

The Letter in a glass bottle know "Just kidding" on the papere

 

 

But it happen by one peace

The Change bigun When A girl pick it upon some beach

people said that "restart"

 

 

So adults dreem is like that may be...

 

 

 

 

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2019/01/21   jannmu

先入観と権威

言葉・文章で描写する絵画

これが私の仕事

経験と補足のための絵と写真と詩

 

ダウンロード.jpg

 

般若の面から当時の西欧が受け取った美的感覚を、東洋で感覚する。

 

 

鋼鉱物を”カネ(支配)”に替えることを科学と最近ではいうらしい。

 

 

 

 

 

埴谷の思想が、裏腹の今日のネトウヨを生んだが、県立現代文学館はなぜか彼をやらない。

埴谷雄高

本能である”競う”ことを否定するのは、結局唯一絶対神を肯定することにほからならない。

 

 

スポーツであれなんであれ、プロの仕事は

裾野を広げボトムアップを図ることだが、勘違いしたプロは目的を誤ったが故に、自らの業界のレベルを下げ続けている。

 

s_キャプチ.jpg

パリコレに限らず世界中で使われているメイクアップ手法だろう。

しかしこのベースが「般若」であることは間違いないだろう。

「美」とはなんぞや。

ちなみに私は彼女の大ファンである。

 

このことを「先入観なき創造」と私は呼んでいる。

すべてが出尽くした現代の忘却故の作業かもしれない。しかしたった10年20年で焼き直し繰り返されるTV芸能とは明確に違う。

 

 

 

 

 

 

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2018/12/06   jannmu
タグ: , 落書き , memo , 愛の詩 , SPACE

[saint] 「海老と蟹と貝」

河は悠久の歳月の中で蛇行と洪水による水の直進化を繰り返すのは何故なんだろう?生き物は河の傍で文明を育んできた。

 

 

処女と童貞

少女と少年

そして処女性と童貞性

 

聖なる something 

個の絶対性と他から与えられる相対性

内側と外側

 

失うものと与えられるもの

そもそも失いようがなく持っているもの

 

大きな鏡にしか映らないものがある

 

 

卵の殻をカラスが突く月曜日のゴミ捨て場

飽食の時代に ”もったいない” は忘れ去られて

簡単便利激安を消費して

そこから出る、卵の殻に微かに残った液体ほどの利益でかろうじて食つなぐ

 

現代人は熱帯魚の水槽の底に蠢く

海老と蟹と貝のようだ

 

 

 

還暦と処女性を同居させたい臣民支配者は

異国の大きな鏡を見誤った

異国の大きな鏡を読めなかった

異国の大きな鏡に映る something は開き盲には感じれない

臣民は自らを少数化した

 

2018.11.09 AM

 

 

 

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2018/11/09   jannmu
タグ: , 自然 , 落書き , memo , 愛の詩 , SPACE

scale and ruler

大人の話として、あくまでも大人の話としてだが

自分の心の定規を表現することと

自分以外の単なる定規で表現することの違いを理解できないのは、犬の「お手」とか「チンチン」などの芸と同じで術にはならない

芸などは犬でも猫でもできる

芸術としてあることはどういうことなのだろうか

 

それは愛と憎しみという感情が同答で、しかし裏腹であり表裏一体のものであることを理解しなおかつ制御して、その内なる葛藤を表現として体内から汗の副産物として排泄するもの

そこに権威という衣は全く不要であり、しかし権威という衣は実力に伴って追いかけてくるものだが、振り払うことをづづける作家を芸術家というのだろう

権威にすがりつくことは、その芸術の終焉にほかならない

なぜなら芸術家の持つ術は、その個人にしかできないもののはずだから

つまり新しい価値観の創造だが、時代、100年、1世紀先を見据えてこそ

 

人がだれかを「殺してやりたい」と思うことを私は否定しない

殺意は恋と裏腹で、恋の対象には近づこうとするが殺意の対象からは遠ざかろうとする

移動の自由はそこにもあるべきだろう

 

 

 

 

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2018/09/21   jannmu

愛という言葉の質量

最初に書いておく、
出産は自宅でお産婆さんが基本にあるべきで、
死ぬときゃ自宅で死ぬべきで、
葬式も自宅であげるべきだ。

それができない社会は既に歪んでいる。

と個人的には思う。

病院以外で出生した子がいない日本では、その内独裁が病院での出生時にナンバーチップを皮下に埋め込むことを義務化するなんて言い出しかねない。それくらいヤバイ状況にあるが、日本人は気楽でいい。


ヤツが生まれる前日の晩に、ひとり自宅で出産に立ち会うために購入したビデオカメラを回して、自己インタビューみたいのを録画した。後で見直すと、なんとも情けない自分が映っている。男ってのは女々しいものだと知ったときだった。

病院は立会いOKというからソコに決めたのに、あとからつべこべいいつつ立会いをさせなかった。



イクメンなんて言葉がなかったころの話。


とある有名百貨店にヤツを連れ買い物にいった。
当時のカミさんはショッピングを楽しみ、俺はベビールームでママさんに囲まれていた。

ベビールームとかママさんとかいうとイイカンジに思うかもしれないが、乳臭かったりウンチ臭かったりするわけだ。

しかしそれが当たり前なのだ。

しかも男親の場合、敢えて経験として自分の子のオシメ替える以外に何ができると思うのか。
どうしてそういう短い期間しかないチャンスを逃すのかと思うのだが、そういう感覚が無いと自民公明的になるようだ。




どれだけオシメ替えようと、可愛がろうと、どうしようとだ、マンコから生まれオッパイ吸って育つわけだが、それを父親ができるはずもない。
そういう当たり前を壊してきたのが、経団連とか経団連マスゴミとか自民公明その他なのだと気付こうね。

子を産んだ女の生理の前に男なんぞはただ”愛”なんていう綺麗ごとを並べるくらいしかできないが、それでもそれしか言うことができないだろ?違うか?





その”愛”という言葉に理由づけするもの、付加価値を持たせるものを宗教というが、男も女も持つ掛け替えのないその感情を”カネ”に変えて私腹を肥やしてきたのが、君たちが信じているものだ。とも気付こうね。






それでも愛は無くならない、信ずるに値する。
だから、世の中を変えなきゃならないってことだ。

 

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2015/09/12   jannmu
タグ: , 自然 , 落書き , memo , 愛の詩 , SPACE
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