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小鳥屋のおばさんの幸せ

小鳥屋のおばさんは去年小鳥屋を閉めてしまった。

小鳥屋の前を通りかかると、いろんな小鳥たちが話かけてきて

のど自慢大会みないになるんだ。

 

そういえば先日、東松山こども動物園にいったときにもこの辺

では見かけない鳥たちがたくさんいて、僕に話しかけてきた。

オーストラリアだかニュージーランドから、あの檻の中にやってきた

黒い鳥はひとりぼっちで、ここから出たいとジェスチャーまでして

話しかけてきた。

 

人間は二足歩行してから脳みそが発達してお利口になったということを

自分たちで自慢しているけれど、本当にそうだろうか疑問だ。

もし二足歩行でお利口になるということが本当なら、鳥だって二足歩行

しているので頭がお利口なはずだ。

しかも鳥は空を飛ぶことができる。人間よりもすごいと思う。

人間が空を飛ぶことができたなら、飛行機や自動車なんていらない。

水のある場所だって知っているし、そこまで自分で飛んでいける。

 

人間は地面に足をついて、そこからせいぜい高度2mの世界で暮らしている。

その2mという、地表と大気とのちょうど境目の環境を

人間はせっせと破壊しているのが馬鹿らしい。

 

小鳥屋のおばさんは、幸せだといっていた。店を閉めて幸せだと言っていた。

それは、エアコンは小鳥たちの命を奪う道具で、でもおばさんはエアコンを

つけることができるようになったので幸せだと言っているのだった。

 

今日は全国的に酷暑に見舞われているという。こういうお見舞いはあまり

嬉しくない。「お見舞い」と「見舞い」で”お”が付くと付かないとでは

意味が違うのだろうか。今度国語の先生に聞いてみよう。

 

閉店してしまった小鳥屋のおばさんも、地面とかコンクリートが熱いと言っ

ていた。

夏の暑さは空からだけだったのが、横からも下からも暑いのがこの国の

酷暑だという意味合いに、いつの間にか変わったのなら、国語の先生も

百葉箱を教えてくれる理科の先生も、もう一度勉強しなおすべきだと

子供心に思う。

 

これでは、いくら原住民から学んでも知らないはずだと思った。

沖縄の人だって、ハワイの人だって南米やアフリカの人だって、日本の酷暑

には、フザケンナ!というだろうと思う。

でもなぜか日本人だけフザケンナ!と言わないのがとても不思議だ。

 

『おとなは、みんなうそつきだ!』

 

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2018/07/15 memo   jannmu

16 bars and sigh of 1 CD

アインシュタインの特異点 「ビッグバン ZERO」

経済学の「神の手 God Hand」

 

天動説地動説以降、議論を止めてしまったので

意味をなさなくなった

 

人間の持つ矛盾を議論しないこと、それ自体が劣化、腐敗だ。

人間の持つ矛盾を突き詰めることは、いわゆる神の正体に

近づくことだが、

人間の持つ矛盾の中に隠れ潜む神と悪魔を理解できないが故に

その「内なる矛盾である神と悪魔(またはそれらとの同居)」に

逃げ込み責任を転嫁する

 

愛(心)は神の所有物ではなく、個々人間のものなのだ。

 

矛盾を内包する心の総体(この言葉はあまり的を得ていない)が

いわゆる神とか悪魔とされるのであって、神や悪魔が心を創造し

たのではない。

 

ピストルを持つことを容認する個人が多ければ、その地方では

殺人が常態化する。

何故ならピストルは人を殺すためにあるから

 

常態化すると批判を聞かずに肯定することが目的化する

 

他人から奪う行為も同様だし、一方で平和的な行為も同様に

広げていくと常態化する

 

 

 

 

 

CD1枚分の溜息

  スタイリスティックス

      From the mountain   ⇔ Sixteen Bars

 

 

欧米人は神に

アジア人は王に

オマカセ主義なのだろう

 

 

 

本日の血圧と脈拍

95-33  107

 

 

 

 

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2018/07/05   jannmu
タグ:自然 , memo , 愛の詩

記号

士のつく職業

師のつく職業

官のつく職業と公務員

あと政治家

ほかにもあるが、

これらが記号と化している。

ただそれだけでエライと自他ともに認めていることが問題だ。

 

客席の照明が少しずつ暗くなる。劇場では爆発音や機関銃の音が

響き観客のざわめきとが少しずつクロスフェード、暗点板付きで幕が

あいた。

稲妻のような光に1人の人間が映し出される。

髪の毛はぼさぼさ顔は黒く煤け着ている。物はぼろぼろで、ところど

ころ焼け焦げて、はだしで地面に突っ伏している。

 

こういう場面設定があったとする。

これが「記号」なのだ。

問題はその役者がその後どんな台詞を言うのか言わないのか、表情はど

うか動きはどうか。

役者の力量が出る。

 

TVに出てくる面白いという「記号化」された人。

言っていることは大して面白くはないが「面白い」という風に記号化

されている。

メディアの望む記号を演ずることにより、自他ともに認める”記号とし

ての面白い人”が完成する。

TVを見ている人も、この「面白い記号」を好んでいて、面白くなくて

も笑える特技を持っている。これをTVピープルという。

 

面白いと記号化されたその人が、メディアによってつくられた己の

虚像を壊しにかかるのかそうでないのかで、単なるお笑いなのか

アーティスト(コメディアン)なのかが分かる。

 

 

アーティストといえば、美術館は人間観察には欠かせない場所だ。

 

横浜のとある美術館

 

篠山紀信の写真が展示されていた。

あるコーナーには有名な男性クラシックバレーダンサーの特大ヌード

写真が展示してあった。一糸まとわない姿だった。

 

日本女性はその展示を避けて通るという不思議な現象が起きていた。

アーティストの写真を記号として受け取る女性の生態がそこに観察でき

たのだった。

 

その作品が性別を超えられていないということでもあるように思うの

だった。

 

 

電車に乗っていたら、宙吊り広告に「清純・・・」という大きな文字と

若い女性の水着姿が載っていた。

 

ここにも「記号化」された何かがある。

 

清純というのは、その女性なりの心の状態を示すものだが、記号化され

た清純は、水着を着て大人のカネ儲けの為にグラビアに掲載されること

を示すようになってしまう。

つまり言葉が、カネ儲けによって歪曲され記号化されるという分かり易い

例である。

こういった部分は国や宗教観によって微妙に異なるだろうし、個人ごとに

違いがあるだろう。

そういったことを少なくとも2000年考えさせないことに成功している

のが日本の国体というものだ。

しかしその国体から言っても、水着を着てカネ儲けの為のグラビアに掲載

されるために、スタジオでカメラの前でポーズをとることを「清純」とは

言わないのではないのか。

 

考えさせない教育を付すために、記号ばかりを暗記するのが詰め込み教育

だ。考えることと、ただ丸暗記することとは全く違うのだ。

マークシートで答えを選ぶ教育は、子供たちに考えることをさせない。

既にある答えを選ぶだけ。

考えずに選ぶだけ。

 

3つか4つある選択肢の中から選ぶだけ。考えなくていい。

選択の仕方を学ぶのが受験教育という愚の骨頂教育の正体だ。

 

選挙ではこの選択と考えることを同時並行的に有権者として、人と

して求められるのだ。

18歳からの選挙制度の法案は、国会の右から左までが大賛成して

可決されたが、本来ならば上記に書いたような教育から見直して、そ

の成果を議論しつつ、ようやく18歳からとならなければ順序として

おかしい。

 

そもそもアベ始めは、教育基本法改正と防衛庁を省に格上げすること

からなのだった。

 

つまり国体は、用意周到に時間をかけてこの腐敗を敢えて生んでいる。

気づかせないように、考えさせないようにして、腐敗を敢えて生んで

いるのだ。

 

そういう中長期的なものの見方考え方が、日本人には欠けていることに

少しでも多く気付くことが大切だ。

 

社会の腐敗は1人の人間の状態を示すのではなく、仮初であっても

民主主義ならば、何人中何人が腐敗しているかで決まる。

 

国政選挙では約半分が投票に行かないこの国。

地方選挙では約7割の人々が投票に行かないのがこの国。

しかし、慣れていないだろうが考えてみよう。

地方自治体を別名「基礎自治体」と呼ぶのは何故なのかを。

 

 

 

そして幼子から想像力を奪うのは親だ。

駅ちかで交通の便が良く学校が近くにあって病院その他の施設が充実

している町が良いという。

 

そういう記号でこの国は、北は北海道から南は沖縄まで、開発という

美名のもとに、ヒートアイランド都市がいまも造られていて、

そこにはペットである飼い犬と飼い猫と人間しか住んではいないのだ。

 

絵本を読み聴かせる親自身が、動物を絵本の中だけに閉じ込めている

ことに気づかない。

だから基礎となる、自分が住む町の選挙に足を運ぶことをしない。

 

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写真を追加しましたので、是非ご覧になってってくださいね。

http://honjin-1.com/Gallery/archives/25

 

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2018/06/28   jannmu
タグ:ねこ , 自然 , memo

新たな世界の共通言語

日本人の多くは癌で死ぬ。

癌という病が発見されたのはいつか。

それ以前は癌と分からずに死んでいったのか。

人生50年といわれていた当時、蘭学を学んだ

医者は記録を残したはずだがどこにあるのだろう。

長崎や小石川にはそれがあったはずだと思うのだ。

そういえば731部隊の悪事を医学面から記録し

たものはいったいどこにいったのか。

原爆を落としたアメリカが持って行ったのか。

731部隊は敗戦後ミドリ十字に変身したが、あの

組織の幹部も巣鴨卒なのだろうか。

 

スギ花粉症やインフルエンザワクチンや最近では

子宮頸がんワクチンが脅威になっているし、遺伝子組み換え

作物や農薬、除草剤殺虫剤のネオニコチノイドなどが

問題視されている。

 

ネオコン、ネオリベ、そもそもポストモダンなど、英語は

随分昔から壊れた言語のようだ。

壊れた世界の共通言語は植民地支配の名残だが、新しい世界

共通言語が”言葉の意味”を取り戻すだろう。

 

 

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2018/06/22   jannmu
タグ: , 自然 , 落書き , memo

”超合理的” Sur rationalism

抽象的な「愛」「夢」などを他の抽象との並列比較

することによる表現は、詩「侘びしさ」で図らずも

試みている表現方法だということに最近になって気

づいた。

 

他人に読んでもらい感想を貰うことは大切なことだ。

 

想像を言葉に変換するときに自然と脳内でイメージ

化される。

今回の韓国旅行で感じたデジャブはそのことによる。

都市部は記号化され、世界中が同じ記号で都市形成

されているようだ。

 

情景描写を多用するときに、そのことを踏まえない

と媚びた文章になりがちだ。街の臭い、日差し、人

の情など。

 

景色中の最低限必要なものとそうでないものを分別

すると、その街の”記号度”が解ける。

記号度 バーチャル度・文化とは関係ないもの、生

きるために必要のないもの、バーチャルに洗脳され

ている度合

 

川面の殺意

背景と具象・抽象概念を”超える”ものを自然から切り

取る

言ってみれば”超合理的”とでも表そうか。

あの写真では、階段が自然を切り取ったことを証明づ

けている。

 

この超合理主義的な表現は「出涸らし」などにも無意

識に表れているようだ。

 

合理は合理であって不合理を排除することだ。

 

キャプチャ.PNG

 

しかし、「君のことがこんなに好きだ」という感情は、いったいどこから

生まれるのだろうかと考えた。不合理だ。

少なくともそれは君との出会いなのだと思ったのだった。

 

 

 

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2018/06/22   jannmu

狼と少年

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*昭和39~42年ころ 川崎市労働会館

 

「ヤバイずらかれ!」

本番数日前の幼稚園でのリハーサルのとき、父親が前夜に冗談で言ったのであろう

このセリフを本気で叫ぶと、集まっていた大人たちは”ドン引き”するのであった。

 

台本のセリフは

「たいへんだ!狼だ!、みんな逃げろ!」だったと思う。

狼が村を襲いにくることを事前に察知した少年が、村人にその危険を大声で教え

るのだが狼はやってこず、その度に少年は「嘘つき小僧」と言われ、村人にこっ

ぴどい目にあうのだった。

 

そして村人が少年の言葉に耳を傾けなくなったときに、本当に狼が襲ってくる。

そんな物語だったと記憶している。

 

しかし何故、リハーサルで父の冗談を真に受けたのか覚えてはいない。

が、推測するに父親っ子であったこと、狼役の衣装である耳と尻尾を母親たちが

作る際に、私の自宅に集合して皆で裁縫しているのを見て、そっちの衣装がいい

とダダを捏ねた覚えがある。

その時に両親は、どうしてもチョンチョコリンで絣の着物を着せたくて仕方がな

く、私の条件に無条件降伏したのであった。

 

私が出したその条件とは、学芸会が終わったらその足ですぐにさいか屋に言って

当時欲しくて仕方がなかったおもちゃのレーシングカーセットを買うということ

なのだった。

両親はその条件を受け入れたわけなので、私は父が冗談でいったであろう「ヤバ

イずらかれ!」を約束通りに履行したわけだ。

 

日本にとりアジアにとり世界の労働者にとり、ここでいう「狼」とはなんであるの

か。

言わずもがなである。

 

アベ自公政治などという小さな対象ではないとだけ断っておきたい。

 

出涸らし

 

段取り

 

たーいへんだおーかみだー

そーれいけウンパッパ そーれいけウンパッパ

なーんだおおかみいないぞいないぞ

なーんだおおかみいないぞいないぞ

かえるがなくからかーえろかえろ

「たいへんだー!おおかみだー!」

 

村人には村八分、狼にもいじめられる少年の物語でもある。

 

 

 

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2018/06/09   jannmu
タグ:落書き , memo

A sense of incompatibility with the all peoples should have the a right to liberty and equality

今日現在で「天賦人権説」にはこうある

天賦人権説(てんぷじんけんせつ)とは、すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつという思想。西洋の自然権思想。

 

A sense of incompatibility with the all peoples should have the a right to liberty and equality

 

欧米の行き過ぎた個人主義に対する違和感を以前から持っている

それは上記の思想からくることにたったいま気づいたので忘れないうちに書いておこう

 

この思想が生まれたのは18世紀なので独裁者が許容されていた時代

独裁者と神が結託していた時代でもある

マルキドサド「悪徳の栄え」に詳しい

 

この人権に対する説を否定しないが、18世紀以降進化していない

思想が深まっていないのだ

 

個人が生まれながらに持つ権利はそれぞれに対等イコールであるが

個人が天(神)から与えられたその権利を主張し行使しようとすると

個人と個人の間に論争が巻き起こる

あるいはそれが束になったときに戦争が起きることになる

 

もう一歩進んでみると

個人が己以外の個人の人権をなによりも尊重することを全ての個人が自覚すること

これにより平等イコールを保つこととする

 

天(神)から与えられた権利ではなく、その個人が己以外の全ての個人に与えるものなのだ

とすると、初めて天(神)からではなく、人間同士で与え合うという考え方になるはずだ

 

これなら戦争は起きないように思う

欧米個人主義が行き過ぎた個人主義として、私個人が違和感を持つ理由の根源は

天賦人権説に対してであるようだ

あるいはこの説が3世紀ものあいだ進化していない事実に対してなのだろう

 

犬猫や猿も自己主張して己の権利(欲望)を守ろうとする

社会性を帯びた動物である人間が主張を通そうとすると集団的な争いになる

その根源的思想が天賦人権説にあるとすれば、戦争が終わらない理由がはっきりする

 

個人の人権を守り、且つ、争いを無くすには

個人が己以外の人々全ての人権を尊重することを第一義とすると

それはそのまま自分個人の権利が守られるという考え方に進化することになる

 

端的にいえば「愛には愛」ということになろうか

「武力」に対し「武力」で対抗する歴史に終止符をうつときだ

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018/05/30   jannmu
タグ:ねこ , 自然 , memo

表層 Outer Layer

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横浜・野毛山の切り通しの表層の変化が見て取れる

 

横浜のいたるところに「発祥の地」という石碑や看板があるけれど、当時の方が

こういったことに対する真摯さがあったように思う

 

これがハイテク土木文化日本行政の表層と重なって見えるのだ

 

地層は数百年、数千年、数万年を表すけれど

表層というのは極最近を表している

地面の表層はもっと酷いことになっているが、みなさんきづいているだろうか

 

 

 

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2018/05/30   jannmu
タグ:自然 , memo

Possibility of digital art

先日横浜市民ギャラリーで見たデジタルアートに少々違和感を持った

その違和感について、ここ数日間考えていた

 

ここ数年、毎日なにかしらの発見というか気づきがあることに気づく

身体の成長は止まっても、脳はいくらでも発達する

いや、そもそも人間は大脳皮質をほんの数パーセントしか活用できてはいないのだ

 

その違和感とは、気持ち悪さというかシュールというか、どういう言葉が

適格なのかは分からないが、兎にも角にもキモチガワルイのだ

 

それでは数週間前に見た、池田龍雄の言うグロテスクと思われるような

表現との違いとはいったい何なのか

 

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結局のところ、デジタルアートはシュールしかできない性質を持っている

だから中途半端なシュールをやると勘違いの元になるように思うのだ

この意味をデジタル造作で育った若者たちが理解できることを願うばかりだ

 

 

市民ギャラリーにはほかに重要な展示があった

 

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アーティストの最も重要な役割がここにあるように思う

 

 

 

 

 

 

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2018/05/29   jannmu
タグ:自然 , memo

Lip service

政治家、閣僚がマスコミ(スポンサー)に向け「リップサービス」する時代

「風が吹くと桶屋が儲かる」を

「桶屋を儲けさせる」ために敢えて風を吹かせる政治

情報の受け手がこの「リップサービス」に騙されるのが大衆迎合政治

大衆が政治に迎合してしまうこと

ポピュリズム政治というのはそういう大衆と呼ばれる人々に疑似餌をぶら下げるようなもの

1人1台情報通信手段を持ち歩く時代にあって、「受け手として」を学ばないと独裁を招くことになる

 

上記のマスコミはスポンサーを地方財界とするなら地方紙や地方TV局であるし

スポンサーを中央財界とするなら大手新聞社と大手TV局だ。

それらスポンサーの広告で維持しているのがマスコミで、それらスポンサーの利益を代表しているのが

この国の政治だが、それらスポンサーは欧米投資家に株式で支配されてしまっている

つまりこの国の政治は欧米投資家の為の政治なのだ

 

 

文字を読まずに垂れ流しのTV映像だけ見ている人間は馬鹿扱いされる。(文字を読めない人を差別するものではない。読めるのに読まないの意)

 

People watching only TV footage of dripping flowing without reading foolish characters.

 

 

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2018/05/23   jannmu
タグ:memo
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