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枝振り

「枝振り」


芽吹いたときから樹は踊りだす
地底でも地上でも踊っている
地底と地上の境目が括れている

 

画家が樹を描くときその舞いを表現できるだろうか
枝振りに加えられた人の痕跡に気づくだろうか

 

自然とはなにか
その考え方の入り口に立つことができるだろうか

 

果たして人は自然なのか
その問いに突き当たることができるだろうか

 

人が自然を思うとき
人為的人工的操作の先に生命の未来を瞬間的に案ずる

 

不自然とはなにか

 

人工授精体外受精代理母クローン技術そして遺伝子組み換え人間
少なくとも新たな差別が生まれる

 

性欲SEX欲はいったいなぜどこから生ずるのか
愛との違いはなにか

 

その裏腹に痛みが同時に生ずる
女性が分身として痛み
男性は後天的痛みとして感じ
時間とともに共通した痛みを持ち
それを愛と呼ぶとすれば

 

科学では表現できない痛み
科学以外でも問いを継続することでしか表現できない

 

問い続けることでしか表現できず
その問いこそが未来に残すべき継続で
そのことを愛と呼びたいと

 

感情を排除した眼差しで顕微鏡を覗く人に
Responsibilityとはなにかと問いたい

 

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2018/01/08   jannmu
タグ: , 自然 , 愛の詩

新しい価値観

新しい価値観ってなんだろう

新しい遊びってなんだろう

新しいものってなんだろう

どこにもないものってなんだろう

 

 

幼いころに家の外に遊びに出るとすべてが友達でそのすべてと、ただ遊んだ

芋虫だったり毛虫だったりミミズだったり

鼠だったり猫だったり犬だったり、あるいは彼らが寝床としている洞穴や樹木の生い茂るところだったり

 

そこにはお日様や雲やらがずっと空から覗いていて、止まっているようでいつも動いていた

 

なにして遊ぼうか?

 

そう全てに問いかけて、いつの間にか遊びに夢中になっていた

その遊びはそのとき限りの遊びで、あくる日にはまた違う遊びを思いつく

それは大人語でいうと、「条件が違うから」ということなのだけれど

その条件とは、空や大地にいる友達との意思の疎通ということになる

 

 

こうして少年は五感を研ぎ澄まし遊びの達人となっていくのだが

この星には遊びの達人と呼べるような子供が育たない

 

彼ら子供が友とするのは、たった5インチの小さな画面だけ

本来彼らの友達だった世界を大人が奪った結果

 

それをなんとかしたいと思う子供大人がいない

大人子供もいない

もちろん子供子供もいない

 

 

だから芸術は子供子供ばかりの芸術になってしまった

だから芸術は大人大人ばかりの芸術になってしまった

 

 

子供は全て芸術家だが、全ての子供が子どもではいられない

だから、芸術家は大人子供でいなければならないが

そこに新しい価値観が生まれるのだが

搾取される

芸術家は芸術家としてしか生きられない生き物なのだが

搾取される

 

そういう不寛容社会では芸術家から新しい価値観は生まれない

芸術家の真似ごとをする大人は多いが、大人子供でいられる者は数少ない

 

 

 

 

 

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2017/12/21   jannmu
タグ:

ひとを閉じ込めるもの

世界はいずれ混じり合う

臆病な人間の塊を保守という

 

枠や箱は檻と同じだ

その中でしか安らげない人間を愛国者とか国粋主義者という

 

彼らの特徴はみな同じで、肩で風を切って歩く

強面で相手と接する

そういう虚勢を癖として身に着けている

 

彼らは恐れるあまり、枠や箱や檻の外に暮らす人々を攻撃する

しかしすべて虚勢と見抜かれている

 

恐れるから攻撃し侵略する

 

 

彼らの下で人は不満を溜めこむことになる

彼らはその不満の塊を彼らが敵視する外に向けようとする

 

不満を溜めた人々もいずれその不満の相手が違うことに気づくだろう

 

虚勢は己を閉じ込めるものがなんなのか理解できないでいる愚か者どもの証だ

 

 

 

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2017/12/02   jannmu
タグ:

VIRTUAL CITY

過密と過疎の極端な格差

過疎をわがものとする独裁者

TVとスマホだけで現実を見ない教育(マトリックス)

政治を語ることはカッコワルイという風潮

焼却場が現代過密都市のガス室

 

これら全てが「自由」の名の下に行われている

プロパガンダ

 

過密土地の高騰とタダ同然の過疎地の独占がすすむ

 

 

 

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2017/11/25   jannmu

ノー・ウォー美術家の集い横浜

ノー・ウォー美術家の集い横浜

 

ご縁があり、この会に参加させてもらえることになった。

ここでもこれから少しずつ紹介していくことになるだろう。

 

ノー・ウォー美術家の集い横浜

 

 

 

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2017/11/23   jannmu

哲学なんて簡単なものであるべき

銀行に行きあるいはコンビニで、ATMからカネを出したり入れたりすることが

誰にでもある

 

電車に乗るための切符を買うために券売機にカネを入れたりお釣りをもらったり

することも誰にでもある

 

ない場合、自分の人生を考え直す機会を別の機械によって逃していると考えていい

 

例えば、9千円カネを入れたいために1万円札を1枚入れ、機械によっては入れたい

金額を聞いてくるものがあり、別の機械は入れる手続きの後、再度出す手続きを要求

するものがある

 

この機械の違いがつまり「作り手のポリシー」ということになる

 

あるいは、預金カードを取り忘れないように自動的に忘れないような順を踏んでいる

機械もある

 

これが「作り手のポリシー」なのだ

 

しかし使う者がその違いについて、その意味を考えないとき、無関心なとき

そのポリシーは生かされないことになる

 

ポリシーというものが一般に普及するまでに、相当の時間がかかることは確かだ

 

その最先端を行くものが、いわゆる芸術家のポリシーであると勝手に考えている

そしてそれはいずれ世界を変える価値観となっていくことは、実はその芸術家の

知名度と比例していかざるを得ないのだ

 

そのポリシーから得たものを企業が受け取るのか、あるいはプロジェクトのメンバーが

受け取るのか、それとも起案した個人が受け取るのか

 

経済とはそのことを突き詰めなければ、まずならないはずなのだが

そうはなっていない

 

その受け取り方も問題としなければならないはずだ

 

しかし芸術家に限って言えば、彼らは全て個人であり

そういう意味での孤独を持っている

孤独という言葉は、良い意味と悪い意味とがあるのだが

双方の意味の間には、例えるなら海の深度の違いや

空でいう高度の違いがあり、深いから良いことには一概にはならず

高いから良いということにも一概にはならないのだ

 

難しい口調で書くのは慣れれば容易いが、誰にでも理解できるように

書くことは難しい

 

この、「誰にでも理解できるように書く、あるいは描く、あるいは撮る」

ことが私のポリシーに完全に付随するものなのだと、現時点では言い訳がましく

書いておきたい

 

分かり易くすることが最も最速の普遍化の手段だが、同時に背負うものについて

受け取る側がどう感ずるか

そのことを解き明かすことができればとも思う次第だが、普遍化する時間と同様に

普遍化してから鏡を通して観察するしか方法がない

 

そのことを自覚できずに芸術といういわば時代のカタワの感覚を、すぐに換金したい

と思っている自称芸術家がどれほど多いことか

 

定価を支払い見るものが芸術の価値、というのは間違っていることは明らかだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017/11/14   jannmu
タグ:自然

神様の宣伝マン

画家、彫刻家

 

TVや新聞、ラジオや雑誌などが世界になかったときに

芸術家がバイブルや経典にモチーフを求めた

そのモチーフ自体が既に広域に広がっていた

画家は競ってストーリーを描き彫刻した

音楽も同様だろう

 

当時、文字の読めない民衆に伝わり易い表現

これが芸術であった

 

王様も宗教もそして画家自身も利用した

 

モダニズムがモダニズム足りえなかったのは

神との同居を否定できなかったことにあるのではないのだろうか

 

アンディー・ウォーホールなどの、いわば大量生産アートは

芸術足りえるか

 

缶詰ラベルデザインと東郷の美人画の末路との違いはなんなのか

 

芸術は芸術であって学問ではない

知性よりも感性がものをいう世界のはずだが

知性先行型の芸術界は、腐敗したのちの死を待つばかりなのだろう

 

現代社会からはじき出された、いわゆる障がい者と呼ばれる人たちが

唯一その鋭い感性を生かせる場所でもあるはずなのだが

 

 

ピカソのゲルニカの中央に描かれた男の顔は何を物語っているのだろうか

 

2017/10/16  18:38

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2017/11/13   jannmu

I knew you love me

I knew you love me

I will give you this song some day

 

意識的に誰かのために作った初めての詩曲だろう

人称が二人称もしくは三人称に変化した最初でもあるかもしれない

 

仮題  「試されたい」

 

試されたい

試されたい

あなたに試されたい

 

 

 

シドドシドー シドドシドー レミラシシラシー ラシシラシー

これのリフレインをサビにする

 

 

 

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2017/10/25 memo   jannmu
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意思をもった生け贄

祭壇の供物として血を流し捧げられる

そして復活した神とやらは、そもそもそれ自体供物であった

そういう教科書の矛盾を祭りの騒ぎで無きものとしてきた

歴史の化けの皮が剥がれた時代に、それにも増して大量の

生け贄供物を誰に捧げているのだろう

 

天国の拷問と地獄の特等席が両立するこの世界を

大いなる熱交換装置として扱う者

彼らはこの先自らが生け贄になる事実を知ることになる

 

明治維新以降の日本、あるいは45年敗戦以降の日本の人々の

力は、現在の中国その他で起きている力と同様に

モチベーションである

 

モチベーションは個であるが、すべてが自由な個はやがて他の個を

否定することになる

それがヒトラーであり広告の天才ゲッペルズだ

自己の内在的価値にパブリック(社会の中にある自己価値)が失われている局面だが

それがまさに今である

 

 

江戸時代以前の日本の戦で食料は納豆だけか

人を食ってはいなかったのか

信長がどうして比叡山を焼き討ちにしたのか

それでは十字軍はどうか

人肉という食料は

白人の歴史とは

肉食の歴史とは

アダムとイヴは林檎なのは何故なのか

それ以前はなにを食っていたのか

アフリカの大地

 

動物園で飼育されている肉食獣に生肉を食わせないのは何故か

 

 

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2017/10/17   jannmu
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これがいわゆる「オマカセ主義」の正体である

人権意識と自治意識があれば神はいらない

そのときに人類は新たな世界を見る

 

直接民主制という

 

皆が時間の余裕を持ち、もちろんのこと自治と人権に興味を持つ

当然のこととして、そういった経済的余裕も合わせ持つことに結果としてなる

 

いまは少しでも直接的議会制民主主義に近づける

これを妨げるものを意識的に自分の内も外も変えていく

 

税を取る政治は実は根源的差別を生む

税の使い道は限定されるべきなのだ

増税しながら多額の国債を発行する政治は、政治家でなくともできる

それは官僚政治なのだ

そもそも政治にカネがかかるのは、政治そのものがカネを食らうからである

 

 

日本の場合、自民公明や自民派生の政党を破ることができれば

同時に官吏主義から脱却できるだろう

 

少子化社会は冷静に考えれば続くはずがない

動物学的、人類学的にいえば、日本人は世界に稀に見る

「特殊体質」ということになるが、それは本当か

社会的に見れば、明らかな破綻が目の前に横たわっている

国の破綻だが、それは本当か

 

神という概念は洋の東西を問わず、ひとつの統治手段であり

これをいまだに信ずる者が世界には多くいる

日本人の場合手を合わせ、会ったこともない、話をしたこともない

見たこともない”誰か”に何かを願う

「どうかああなりますように。どうかこうなりますように。」

(これがいわゆる「オマカセ主義」の正体である)

この観念(考え方の習慣)が、自治意識や人権意識(自分でああなるように、こうなる

ようにアクションを起こし、同様の考えを持つ者と繋がっていくこと)を妨げているこ

とに、人類が同時多発的に気づいた世紀が21世紀なのだ

 

そして日本の場合、神とやらが人を戦争にまで引きづり込むようになってから

150年しか経過していない*

 

これこそが、日本人が気づくことにより

「大いなるポテンシャル」に成り得る世界初である

(そういった条件は世界の他処にも多くあるだろう)

 

宗教法人に全てのカネの出入りを中小個人と同じく

申告義務を課すとダダをこねる一部が当然出てくるだろう

課税義務ではなく申告義務を課すだけなのだが

ダダをこねる特定の団体が出てくるはずだ

 

それこそが世界のカネのメビウスの繋ぎ目である

 

人間が神を創造してから、永いとても永い年月が経った

それは永遠ともいうべき時間の経過だ

そしてようやく神はその役目を終えようとしている

21世紀はそういう世紀なのだ

神にも功罪があり、人類は功だけをひきづいで

神を棺に納めるときなのだ

 

*明治維新以前は、一般人が戦に参加することはなかったという仮定。

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2017/09/25 memo   jannmu
タグ:memo
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