Something New

news

罪と罰

罪と罰との間に判定人が存在する。

罰には罪の部分と抑止部分が含まれる。
もしかしたらほかにも含まれるのかもしれない。

そして冤罪も含まれる。


罪と罰はイコールだろうか。

同じ罪でどうして国によって刑が違うのだろうか。




現代社会の病巣は、対処療法依存にあるのではないのだろうか。
生活習慣病といいながら、生活習慣を変えるためのアドバイスを医師はしない。

生活習慣を変えずに、対処療法である薬物に依存している。

≫ 続きを読む

2016/11/03   jannmu

Be witch

遥かいにしえから女の子だけが持っている

女性だけが持っている

 

 

その魔法が通じない

たったひとりの相手をさがすために

 

 

ほかの誰もかなわないその魔法を

どうして安売りしたり、手放してしまうんだろう

 

 

 

≫ 続きを読む

2016/10/25   jannmu
タグ: , 愛の詩

ときと時間

替えられないものを受け入れる力と

受け入れられないものを変える力の違いは

結局のところ「時間」でしかない

 

「とき」を天使といい

「時間」を悪魔という

 

そして現代のいわゆる神は

天国で拷問を受けつづけている

 

 

 

≫ 続きを読む

2016/10/22   jannmu

旗と歌問題

近所のカフェと最近仲良しになった。

http://bluff-terrace.com

 

 

なっとうバクダンという詩集を貸してくれて読んでいる。

ほんの数ページ読むと「喪服の思い出」というタイトルの詩がある。

終わりの二行を読むと、この記事のタイトル問題は解決してしまう。

目から鱗が落ちるとはこのこと。

 

制服に慣れた日本人にはどうもこの発想が及ばない。

女性の感性には驚かされることがしばしばある。

 

少しのあいだ間借りして jan の写真と詩の小冊子を置かせてもらっている。

ALL jan を見て来たと言ってくれるととても助かる。

小冊子にモノクロで載せた写真のタイトルは「DANCE WITH ME」

さて、あなたの感性にはどう映るだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

≫ 続きを読む

2016/10/07   jannmu
タグ:

究極のリサイクル

それが農業だ。

 

 

種が先か収穫が先かはこの場合議論にならない。

 

悠久自然サイクルの中に人類が生きるための、ごく僅かなスペースを自然から間借りしているに過ぎない。

これ以上でも以下でもない。

この悠久自然サイクルに生活サイクルやスタイルを近づけていく。本来はそうであったものが、ある時代を境に乖離していってしまった。

 

実は本来、資本の在り方も同様である。

資本は種の部分であり、それは次の収穫を人類が分かち合うためのもの。

一部が独占するものではない。

 

自然との調和の範囲内で農業を行うことは、自然破壊と隣り合わせだが、そこに「生命全てにおいての分かち合い」という考え方を取り込むことにより、新たな展開がある。逆に言えば、そうしなくては新たな展開は無いということ。

 

 

 

 

たばこ呑みが健康に気遣って禁煙をする。止められるならそれに越したことはない。

病院に行き、禁煙者同士慰めあいサークルなんかにも通ったりして、病院でたばこより高価なニコチンパッチを買わされて、結局タバコを止められなかったらどうなるのだろうか。

ニコチンを肺から摂取すれば肺がんの恐れがあるとたばこのパッケージには書かれているが、ニコチンパッチで皮膚から摂取するとどういった害があるのかを医学は説明しない。ニコチンが害を及ぼすのは、脳細胞なのではないのか。

 

 

 

ニコチン依存とアルコール依存の違いを深く考える必要がある。

 

 

2016/07/19  13:34

 

 

 

≫ 続きを読む

2016/09/18   jannmu

『おとなは、みんなうそつきだ!』

おとうさんも、おかあさんも、うそつきだ!

 

おとうさんやおかあさんは、ぼくたちわたしたちよりもはやくおきて、ぼくたちわたしたちをおこしてくれるけれど、がっこうにちこくするからというりゆうだけ。

そのときにおとうさんは、わいしゃつにねくたいをしめながらおはようといい、おかあさんはちんしたあさごはんをだしながら、しゅくだいやったのときく。

ぼくたちわたしたちのきもちはきいてくれない。

 

おとうさんのわいしゃつは、おかあさんが、くりーにんぐにだすけれど、おとうさんもおかあさんもあいろんをかけたことがない。

がっこうのかえりみち、ちょっとよりみちしてくりーにんぐやさんのおじさんが、おしごとをしているようすをみた。

わいしゃつのくりーにんぐをするときにはらうりょうきんは、おしごとのたいへんさをしらないとわからないはずだけど、おとうさんもおかあさんもあいろんをかけたことがない。

 

ぼくたちわたしたちは、がっこうでおえかきのじかんに、せんせいがきめたてーまでえのぐをよういするけれど、おとなのことばでは「けいもうぽすたあ」というらしい。

「まなーをまもろう!」とか「ぽいすてやめよう!」とか「かわをきれいに!」とか「みずをよごさないで!」とか「しぜんをまもろう!」とか。

ぼくたちわたしたちは、おとなたちがだれも、だれひとりそのことをまもらないことをしっている。
しっているけれど、えをかかされる。

 

そういうえをかくと、ぼくたちわたしたちも、うそつきなおとなのなかまいりになるみたいでとてもいやだけど、おとなたちは、そういうぼくたちわたしたちのきもちをまずはじめにきこうとしてくれない。

しかたなくぼくたちわたしたちは、うそつきおとなのまねをして、いつのまにかなかまいりさせられてしまう。

とてもいやだけれど、ぼくたちわたしたちがおとなになったときには、たぶんわすれてしまっているんだろうなとおもう。
そういうのが、とてもいやだとおもう。

 

このまえ、どうきゅうせいのきょうだいがかよっている、ようごがっこうにいったら、ろうかにはってあったたくさんのえが、ないていた。あんなにないているこどものえをはじめてみたのでおどろいた。
おとなたちはどうしてあんなにかなしいそうなえばかりはることができるんだろうかと、とてもふしぎにおもった。

きょうしつでかいたえやでんしゃやばすのなかにはってあるえとはぜんぜんちがうのに。


おとなたちは、みんなうそつきだと、おもった。

あとからしったけど、あいろんのことをぷれすとえいごではいうらしい。

 

 

夕べ見た夢のひとこま。

とてもイタイ夢だった。


夏の終わりころ 9月2日

 

 

dressed city lie

DSC_0683.jpg

 

≫ 続きを読む

2016/09/09   jannmu
タグ:遠足日記

三文シャーマン

雷と通り雨のあとの晴れ間

「太陽を背にすると必ず虹が出る」

そう古代のシャーマンは予言した

予言とはそんなものだ

 

空のない街では、シャーマンは生きれない

空を見ない人にシャーマンは必要ない

空を見ない人に予言は届かない

 

シャーマンは考えた

自然と共に生きる人々が生き途絶えると、人類は人類としての生命力を失う

そう心の中で予言した

 

 

 

2016.07.05

 

 

 

≫ 続きを読む

2016/07/25   jannmu

殴り書き

「見ざる聞かざる言わざる」を現代的に考察する

 

9.jpg


 それぞれの猿が表現しているひとつの感覚以外の感覚を研ぎ澄ます行為として捉える。

 現代人の持つ大脳皮質が空なのは何故なのか。入れる情報がないのに発達するがずがない。元々は情報(能力)が詰まっていた、詰めることにより発達したと考えるのが当然である。

 

 「過敏」な聴覚や嗅覚臭覚などは、現代医学に於いて「病」とされてしまうが、これこそが人間の能力の過小評価である。

 野鳥とも魚類とも樹木とでさえ言葉でないコミュニケーションが取れる。そうできないのは「過小評価」故の「能力退化(大脳皮質空洞化)」である。


 感覚とは情報察知能力で、いわゆる第六感とは五感の総合力だが第六感という五感以外の感覚が独立して存在しているわけではない。五感のバランスが個人ごとに異なることは、生命としての基本だが、それを否定しようとするシステムを「独裁」とか「覇権主義」あるいは「封建主義」などと呼ぶ。

 

 他の動物(生命)と違い、人間は言葉と歴史から学び取ったルールを持つ。それは争いを回避するツールなのだが、情報の歪曲により、あるいは便利追求によって「逆説的な意図により浸食されつつある」ことを覆い隠そうとするものがある。

 富の集中によるいわゆる1%と99%という曖昧な分け隔てはいずれ全く意味をなさなくなるだろう。

 そういう価値観が無くなってしまうだろう。

 同時にまた、富によっては人間の能力が維持発展することが不可能だということにも気づくときが来るだろう。(富とは所詮、地球から人類が搾取したものに過ぎないのだから、地球からの搾取を止めない限り人類は破滅に向かうのは当たり前のことなのだ)

 

 いわゆる動物的な力と人間の能力(大脳皮質に詰め込まれるべき)は、形式的にではあれ切り離して考えることが、実は人間的能力の基礎とも言えまいか。

 

 セーフティーネット(最底辺)の教育や衣食住環境レベルが、その社会の先進度であるが、言い換えると人類の進化の度合いでもある。

 

 現代世界はこの当然の時間の流れに逆行しようとしているが、本来上記の考え方から発展してきたルールを、情報により歪曲したところに問題の本質原因があると考える。

 

 いわゆる99%と呼ばれる人々に圧倒的に不足しているのは、どのような環境下であれ「観察、考察する行為」である。自然からも人工物からでもこの観察考察行為により学ぶことができ、考え独自意見を持つことができる。そしてこの行為はすなわち五感を研ぎ澄ます行為に他ならない。

 このことに気づき実行する者とそうでない者とに今後分かれていくというのは、避けられない事実であることは、既に歴史が物語っている。

 それでもセーフティーネットの在り方によって、違いや異なるものを埋めることができるのも事実である。

 


つまり、ボトムアップという考え方に立脚することが人類の全てである。

≫ 続きを読む

2016/07/13   jannmu

氷 ICE

冷蔵庫機能の製氷機は結構電気を食う。

冷凍室はOFFにできないので、そこで氷を作ると器によって、出来上がる氷が違うことに気づく。

 

ペットボトルでも、二重構造のものとそうでないものでは、出来上がる氷や凍る時間が違う。

金属製の水筒で氷を作ってみたら、氷屋さんで売っている

透明で融けにくい氷が作れることを知った。長持ちするが、時間がかかる。

 

ペットボトルに入れた飲料は、温まるとプラスチック臭くなってしまう。

そんなものを飲みながらの食事が美味しいはずはない。味覚が狂ってしまうので止めたほうがいい。

 

考えてみると、容器というのは消費者(人間)目線で作られてはいなく、作り手売り手側の損得勘定で作られている。

なので消費者が賢くならないと、結局は自分の体を壊したり、不感症になったりする。

この国には多分不感症なんだろうな~と思うわせるような人が、大勢歩いている。

 

ついでだが、香水を10m先まで漂わせているような女性は、食事のときに食材の微かな香りだとか風味なんかを

感じることができるのだろうか。そういう女性(最近は男性も)が寿司屋にいたら、俺なら勘定済ませて即刻帰るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

≫ 続きを読む

2016/07/02   jannmu

「相対性」と「絶対性」

相対性理論の特異点を解こうとしない学問

特異点は「仮定」でしかないが、理論のすべての土台がこの「特異点」から始まっている

つまり科学すべてが「仮定」でしかないことを何故誰も指摘しないのか

 

そこから派生する僅かな誤差が、偏りという格差につながっているのだろう

僅かな誤差の積み重ねや時間経過が、戦争を繰り返す原因とは考えられまいか

 

 

 

年老いたフラワーチャイルドは若者に何を残すのだろうか

 

 

 

 

 

 

≫ 続きを読む

2016/06/21   jannmu
タグ:自然
リンクバナー受付け