Something New

news

原住民の知恵

原住民の知恵

”原住民的”な知恵しか持たない俺たちはそこから学ぶ

共生共存とは何か

 

この星の永遠とはいつまでなのか

そのときに生きる子々孫々の絶望を想い憂う

生物人間の運命とは

 

 

真実は現に在り 現は未来に在る

現とは君であり、君こそが現である

 

宇宙とは現の創作であり積み重ねである

宇宙とは音楽である

原住民が原住民の音楽を取り戻すには

音符を捨ててしまわなければならない

 

 

≫ 続きを読む

2016/06/01   jannmu

Make my day

淡々とした日常に感動がある

現実と真実の中に揺れ動く心

電子的なイメージは真実を欲している

 

云わば、即物的な日々の営みの中に現実が横たわる

 

苦楽は信仰ではなく

生きて精々百年足らずの日々、一時いっときにある

 

内なる己を味わう

五感を養うために必要なSomethingをその「内なる己」に問う

そして日々、一時いっときを壊し創造する

創造し破壊する

その果実を味わう

 

麻痺した五感を取り戻す

五感で得る感動は意欲を掻き立ててくれる

 

 

≫ 続きを読む

2016/05/30   jannmu
タグ:

梅の木

DSC_0313.jpg

開け放した玄関から見た梅の木

 

歳が明けて最初に風景に彩を与える木である

梅の花が咲いてから梅雨の時期まで、枝に蓄えらえた恵みがこの写真に写っていない部分に連なっている

梅の花をついばむ小鳥もいた

この木は小鳥たちの安らぎの止まり木である。

 

この木のすぐ脇では、山手の丘が樹木とともに十スーメートル切り崩されてしまっている

 

 

多様化する生物は、多様化する以前のSomethingを大切に共有して暮らしている

このことに人間は気づかなければいけない

 

 

≫ 続きを読む

2016/05/30   jannmu
タグ:自然

自然と一体

自然と一体

今日は5時間くらいチャリンコで走ってきた。

歩くこと、ランニングで汗をかくこと、そしてチャリンコで遠出をすること。

これで高かった血圧が下がり、薬を飲んでいない。

 

横浜から鎌倉に向かって走っていった。

歩いたり走ったりするのとは違い、チャリンコで走るとまた別の世界が見えてくるものだ。

横浜や関内周辺はレンタルのチャリなんかも整備されていて、それなりにチャリ走行環境が整っている。

少し遠出をするとまだまだ走り辛い。

片側1車線のトンネルなんかを通過する際にはとんでもなく危険が伴っている。

事故の危険ばかりでなく、耳をつんざくような騒音や濃度の高い排ガスなど。

排ガスに関しては、普段薄まった排ガスを吸い続けていることを改めて感ずることができる。

 

20年前から既に排ガスに有害物質を含まない燃料があるというのに、遅々として進まない排ガス行政や市民感覚に疑問を持つ。小金持ち風に限って、ロートルポンコツ車を自慢げに乗っている。感覚的に田舎者なのだろう。

 

とある小高い場所に古民家や畑、公園があった。そこでしばらく休憩を取った。

野鳥が囀り、草花が優しい風にそよぎ、蝶々や蜜蜂が舞っている。

騒音や排ガスから隔絶されている場所だ。

そこでは自然との一体感を覚える。

人は自然と一体なのだと感ずる。

自然なしでは人は生きることができないことを感ずるのだ。

この感覚を失いたくないと思った。

そこには竹炭を焼く窯が置いてあって、出番まで静かに昼寝をしているようだった。

 

考えてみれば、地下資源に日々の暮らしの殆どを頼り切っている人間の生活は、それ自体が自然環境破壊に直結していることは言うまでもないだろう。

化石燃料からの脱却は人類の至上命題と既になっていることを改めて自覚した。

久々に清々しい深呼吸をして帰路についた。

丘公園からの尾根伝いの道はこの季節、花の甘い香りに満ちている。

深夜に散歩すると、少し湿った軟らかい甘さが心をくすぐるが、エンジン音がその心地よさをかき消して、そのあと残るものは肺を突き刺すようなヒリヒリとしたものだ。

 

丘から見下ろす景色は、暗くない夜を映している。

昼間でもなく夜でもない空間は異様で無意味な光の空間だ。

星々の姿を覆い隠し、感覚を麻痺させる空閑だ。

 

 

 

≫ 続きを読む

2016/04/27   jannmu
タグ:自然

夢………..境地

夢………..境地
 

センチメンタルなメロディーに抱かれてみる夢は
憂いを含んだ甘さと切なさ
壊しても壊しても壊したりなく
今という非現実が
あとからあとから現実へと化学変化してゆく

 

そしてまた壊す現実は
ほろ苦い感覚をまとっている
微かな疼きをともなっている
そこから今という新たな非現実が生まれる

 

360度開ききった柔らかなNOには
人為的なリアルがときとして突き刺さる
痛みという感覚が呼び起こされる

 

所詮人生なんぞとささやいた誰かから感じる
諦めにも似た無常観
無常観
それこそがもしかしたら
永遠なのかもしれない

 

仮にそうだとして
それが現時点での今だとして

 

敢えてそこに戦いを挑みたい
戦いを挑みたい

 

それこそが
そのこと自体が
俺の戦いなのだから
俺の今に追いつく唯一の手段なのだから





*この文章は他のサイトで2010-12-07 22:48:20に掲載されたものです。










 

≫ 続きを読む

2016/04/25   jannmu
タグ:

da VinciとPicassoとDalíとMosquito

ふやけたぼうふら

 

自分の描いた絵と対決しなけりゃならないなんて500年前には思ってもいなかったろう。

しかしたかが5世紀しか経っていない。

コンマ7世紀しか経っていないのにこんなに世界は変わる時代を知れないなんてな。

 

by jannmu

≫ 続きを読む

2016/04/25   jannmu

To put the meaning of memorial

死んだ者に対する言葉を持っていない

その意味を理解できるならば

 

数少ない理解者

数少ない友人

数少ない悲しませる者

数少ない心くすぐる者

そして数少ない愛を知る者へ

 

i am not losing you

 

https://www.youtube.com/watch?v=TMps1ue_024&list=RDEM_0ItSElzQ0VS4lssmoXyeg&index=20

≫ 続きを読む

2016/04/22   jannmu

ぼちぼち更新中です

建築中の建物のようでいまのところ見栄えがよくありませんが、これからどこにもないGalleryを構築していきますので

ご期待くださいね。

≫ 続きを読む

2016/03/08   jannmu

愛という言葉の質量

最初に書いておく、
出産は自宅でお産婆さんが基本にあるべきで、
死ぬときゃ自宅で死ぬべきで、
葬式も自宅であげるべきだ。

それができない社会は既に歪んでいる。

と個人的には思う。

病院以外で出産した子がいない日本では、その内独裁が病院での出産時にチップを皮下に埋め込むことを義務化するなんて言い出しかねない。それくらいヤバイ状況にあるが、ジジババは気楽でいい。


ヤツが生まれる前日に、ひとり自宅で出産に立ち会うために購入したビデオカメラを回して、自己インタビューみたいのを録画した。後で見直すと、なんとも情けない自分が映っている。男ってのは女々しいものだと知ったときだった。

病院は立会いOKというからソコに決めたのに、あとからつべこべいいつつ立会いをさせなかった。



イクメンなんて言葉がなかったころの話、つまり時代の先端をそれでもいっていたのだ。


とある有名百貨店にヤツを連れ買い物にいった。
当時のカミさんはショッピングを楽しみ、俺はベビールームでママさんに囲まれていた。

ベビールームとかママさんとかいうとイイカンジに思うかもしれないが、乳臭かったりウンチ臭かったりするわけだ。

しかしそれが当たり前なのだ。

しかも男親の場合、敢えて経験として自分の子のオシメ替える以外に何ができると思うのか。
どうしてそういうチャンスを逃すのかと思うのだが、そういう感覚が無いと自民公明的になるようだ。




どれだけオシメ替えようと、可愛がろうと、どうしようとだ、マンコから生まれオッパイ吸って育つわけだが、それを父親ができるはずもない。
そういう当たり前を壊してきたのが、経団連とか経団連マスゴミとか自民公明その他なのだと気付こうね。

子を産んだ女の生理の前には男なんぞはただ”愛”なんていう綺麗ごとを並べるくらいしかできないが、それでもそれしか言うことができないだろ?違うか?





その”愛”という言葉に理由づけするもの、付加価値を持たせるものを宗教というが、男も女も持つ掛け替えのないその感情を”カネ”に変えて私腹を肥やしてきたのが、君たちが信じているものだ。とも気付こうね。






それでも愛は無くならない、信ずるに値する。
だから、世の中を変えなきゃならないってことだ。

≫ 続きを読む

2015/09/12   jannmu
リンクバナー受付け