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可視化された希望

生命が宿った瞬間から腐敗が始まる

その肉体を清潔に保つための知識までもが腐敗してしまうとき

そのことが可視化されるまでに約2000年を要した人類

 

持つ者持たざる者にかかわりなく、すべての人間の腐敗の尺度をこの星では「先進」という

 

その単位は可視化できない日常のあらゆる事物に浸透し、あるいは含有されている

故意に可視化された世界が、そのことを覆い隠している

腐敗し鈍った感覚が、盲目の心に依存する悪循環を引き起こしている

 

盲者の導き手であったはずのあらゆる宗教は

そのことを忘れ賞味期限切れとなった

腐敗が加速した世紀でもある

 

たったひとつ残された希望を手放さないことだ

 

 

 

 

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2016/11/14   jannmu
タグ:

commercialism and narcissism

世界が誰かへのオマージュに溢れているとして

その誰かにとり、喜ぶべきことなのだろうか

金がないと死する世界において

 

 

コマーシャリズムとナルシシズムが突出して

自己顕示欲と性欲が肥大した人類は

目的を「生きること」よりも「人生を換金すること」に変更した

 

大切にするだけで多くの恵みをもたらしてくれる大地に

黒い蓋をして、自ら危機を創作している

全てが万事このことにつきるが

知識人と呼ばれる人種がこのことを否定している

 

 

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2016/11/14   jannmu
タグ:落書き

END ROLL

主語と結果や結論

そしてその説明(形容)という流れの言語としての英語などは

実は本来、時系列でなされる電子情報世界では

言語的に情報の受け手にとり(熟考する受け手という意味で)おのずと不利があると思える

横に流れる情報を縦に見る(読む)が、縦書き言語にはアドバンテージがあるように思う

 

 

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2016/11/06   jannmu
タグ:memo

罪と罰

罪と罰との間に判定人が存在する。

罰には罪の部分と抑止部分が含まれる。
もしかしたらほかにも含まれるのかもしれない。

そして冤罪も含まれる。


罪と罰はイコールだろうか。

同じ罪でどうして国によって刑が違うのだろうか。




現代社会の病巣は、対処療法依存にあるのではないのだろうか。
生活習慣病といいながら、生活習慣を変えるためのアドバイスを医師はしない。

生活習慣を変えずに、対処療法である薬物に依存している。

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2016/11/03   jannmu

Be witch

遥かいにしえから女の子だけが持っている

女性だけが持っている

 

 

その魔法が通じない

たったひとりの相手をさがすために

 

 

ほかの誰もかなわないその魔法を

どうして安売りしたり、手放してしまうんだろう

 

 

 

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2016/10/25   jannmu
タグ: , 愛の詩

ときと時間

替えられないものを受け入れる力と

受け入れられないものを変える力の違いは

結局のところ「時間」でしかない

 

「とき」を天使といい

「時間」を悪魔という

 

そして現代のいわゆる神は

天国で拷問を受けつづけている

 

 

 

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2016/10/22   jannmu

究極のリサイクル

それが農業だ。

 

 

種が先か収穫が先かはこの場合議論にならない。

 

悠久自然サイクルの中に人類が生きるための、ごく僅かなスペースを自然から間借りしているに過ぎない。

これ以上でも以下でもない。

この悠久自然サイクルに生活サイクルやスタイルを近づけていく。本来はそうであったものが、ある時代を境に乖離していってしまった。

 

実は本来、資本の在り方も同様である。

資本は種の部分であり、それは次の収穫を人類が分かち合うためのもの。

一部が独占するものではない。

 

自然との調和の範囲内で農業を行うことは、自然破壊と隣り合わせだが、そこに「生命全てにおいての分かち合い」という考え方を取り込むことにより、新たな展開がある。逆に言えば、そうしなくては新たな展開は無いということ。

 

 

 

 

たばこ呑みが健康に気遣って禁煙をする。止められるならそれに越したことはない。

病院に行き、禁煙者同士慰めあいサークルなんかにも通ったりして、病院でたばこより高価なニコチンパッチを買わされて、結局タバコを止められなかったらどうなるのだろうか。

ニコチンを肺から摂取すれば肺がんの恐れがあるとたばこのパッケージには書かれているが、ニコチンパッチで皮膚から摂取するとどういった害があるのかを医学は説明しない。ニコチンが害を及ぼすのは、脳細胞なのではないのか。

 

 

 

ニコチン依存とアルコール依存の違いを深く考える必要がある。

 

 

2016/07/19  13:34

 

 

 

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2016/09/18   jannmu

『おとなは、みんなうそつきだ!』

おとうさんも、おかあさんも、うそつきだ!

 

おとうさんやおかあさんは、ぼくたちわたしたちよりもはやくおきて、ぼくたちわたしたちをおこしてくれるけれど、がっこうにちこくするからというりゆうだけ。

そのときにおとうさんは、わいしゃつにねくたいをしめながらおはようといい、おかあさんはちんしたあさごはんをだしながら、しゅくだいやったのときく。

ぼくたちわたしたちのきもちはきいてくれない。

 

おとうさんのわいしゃつは、おかあさんが、くりーにんぐにだすけれど、おとうさんもおかあさんもあいろんをかけたことがない。

がっこうのかえりみち、ちょっとよりみちしてくりーにんぐやさんのおじさんが、おしごとをしているようすをみた。

わいしゃつのくりーにんぐをするときにはらうりょうきんは、おしごとのたいへんさをしらないとわからないはずだけど、おとうさんもおかあさんもあいろんをかけたことがない。

 

そういえば、くりーにぐやさんは、まんいんでんしゃにのったことがないので、そのつらさをしらないといっていた。

 

ぼくたちわたしたちは、がっこうでおえかきのじかんに、せんせいがきめたてーまでえのぐをよういするけれど、おとなのことばでは「けいもうぽすたあ」というらしい。

「まなーをまもろう!」とか「ぽいすてやめよう!」とか「かわをきれいに!」とか「みずをよごさないで!」とか「しぜんをまもろう!」とか。

ぼくたちわたしたちは、おとなたちがだれも、だれひとりそのことをまもらないことをしっている。
しっているけれど、えをかかされる。

 

そういうえをかくと、ぼくたちわたしたちも、うそつきなおとなのなかまいりになるみたいでとてもいやだけど、おとなたちは、そういうぼくたちわたしたちのきもちをまずはじめにきこうとしてくれない。

しかたなくぼくたちわたしたちは、うそつきおとなのまねをして、いつのまにかなかまいりさせられてしまう。

とてもいやだけれど、ぼくたちわたしたちがおとなになったときには、たぶんわすれてしまっているんだろうなとおもう。
そういうのが、とてもいやだとおもう。

 

このまえ、どうきゅうせいのきょうだいがかよっている、ようごがっこうにいったら、ろうかにはってあったたくさんのえが、ないていた。あんなにないているこどものえをはじめてみたのでおどろいた。
おとなたちはどうしてあんなにかなしいそうなえばかりはることができるんだろうかと、とてもふしぎにおもった。

きょうしつでかいたえやでんしゃやばすのなかにはってあるえとはぜんぜんちがうのに。


おとなたちは、みんなうそつきだと、おもった。

あとからしったけど、あいろんのことをぷれすとえいごではいうらしい。

 

 

夕べ見た夢のひとこま。

とてもイタイ夢だった。


夏の終わりころ 9月2日

 

 

dressed city lie

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2016/09/09   jannmu

三文シャーマン

雷と通り雨のあとの晴れ間

「太陽を背にすると必ず虹が出る」

そう古代のシャーマンは予言した

予言とはそんなものだ

 

空のない街では、シャーマンは生きれない

空を見ない人にシャーマンは必要ない

空を見ない人に予言は届かない

 

シャーマンは考えた

自然と共に生きる人々が生き途絶えると、人類は人類としての生命力を失う

そう心の中で予言した

 

 

 

2016.07.05

 

 

 

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2016/07/25   jannmu

殴り書き

「見ざる聞かざる言わざる」を現代的に考察する

 

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 それぞれの猿が表現しているひとつの感覚以外の感覚を研ぎ澄ます行為として捉える。

 現代人の持つ大脳皮質が空なのは何故なのか。入れる情報がないのに発達するがずがない。元々は情報(能力)が詰まっていた、詰めることにより発達したと考えるのが当然である。

 

 「過敏」な聴覚や嗅覚臭覚などは、現代医学に於いて「病とか過敏症」とされてしまうが、これこそが人間の能力の過小評価である。

 野鳥とも魚類とも樹木とでさえ言葉でないコミュニケーションが取れる。そうできないのは「過小評価」故の「能力退化(大脳皮質空洞化)」である。


 感覚とは情報察知能力で、いわゆる第六感とは五感の総合力だが第六感という五感以外の感覚が独立して存在しているわけではない。五感のバランスが個人ごとに異なることは、生命としての基本だが、それを否定しようとするシステムを「独裁」とか「覇権主義」あるいは「封建主義」などと呼ぶ。情報察知能力の”違い”は互いに認め合い高め合うものだが、社会が個人に提供するべき情報に格差をつけているのが、情報歪曲社会である。

 

 他の動物(生命)と違い、人間は言葉と歴史から学び取ったルールを持つ。それは争いを回避するツールなのだが、情報の歪曲により、あるいは便利追求によって「逆説的な意図により浸食されつつある」ことを覆い隠そうとするものがある。

 

 意図的につけられた情報格差による富の集中の、いわゆる1%と99%という曖昧な分け隔てはいずれ全く意味をなさなくなるだろう。

 そういう価値観が無くなってしまうだろう。

 同時にまた、富によっては人間の能力が維持発展することが不可能だということにも気づくときが来るだろう。(富とは所詮、地球から人類が必要以上に搾取したものに過ぎないのだから、地球からの搾取を止めない限り人類は破滅に向かうのは当たり前のことなのだ)

 

 いわゆる動物的な力と人間の能力(大脳皮質に詰め込まれるべき)は、形式的にではあれ切り離して考えることが、実は人間的能力の基礎とも言えまいか。

 

 セーフティーネット(最底辺)の教育や衣食住環境レベルが、その社会の先進度であるが、言い換えると人類の進化の度合いでもある。

 

 現代世界はこの当然の時間の流れに逆行しようとしているが、本来上記の考え方から発展してきたルールを、情報により歪曲したところに問題の本質原因があると考える。

 

 いわゆる99%と呼ばれる人々に圧倒的に不足しているのは、どのような環境下であれ「観察、考察する行為」である。自然からも人工物からでもこの観察考察行為により学ぶことができ、考え独自意見を持つことができる。そしてこの行為はすなわち五感を研ぎ澄ます行為に他ならない。

 このことに気づき実行する者とそうでない者とに今後分かれていくというのは、避けられない事実であることは、既に歴史が物語っている。

 それでもセーフティーネットの在り方によって、違いや異なるものを埋めることができるのも事実である。

 


つまり、「社会の底上げ」という考え方に立脚することが人類の全てである。

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2016/07/13   jannmu
タグ:自然 , 落書き , memo , SPACE
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